阪神淡路大震災の19回目の記念日です。

阪神淡路大震災の記憶は、遠のくばかりです。しかしあの経験から、天災が起きたときには、復興に立ち上がり、非常時の対応が出来るように、普段からの心構えが大事です。

思い出しても恐ろしい、もう二度と経験したくない、19年前の1995年1月17日に起きた、阪神淡路大震災から、早くも19年が経過しました。

大きな被害を受けたもものの、命に関わる被災もなく、今日まで過ごせたのも、皆さんのおかげです。松葉博雄は、奧さんと一緒に神戸市役所に隣接する東遊園地に、阪神淡路大震災の被害者の慰霊にお詣りしてきました。

市役所の前では、ボランティアの皆さんが、震災の復興当時を思い出させる、炊き出しをしていました。

ぜんざいのテントには、長い行列が出来ています。

朝礼で社員の皆さんに話したことは、阪神淡路大震災のような、大きな天災は、もう二度と被災したくありませんが、もし、また天災に罹災することがあれば、まず、

①身体が元気であれば、すぐに立ち上がって、復旧に努めること

②非常時の対応を出来るよう、普段から心構えをしておくこと

③私達の存在意義と役割を発揮すること

誰かが早く起き上がり、困っているコンタクトレンズユーザーに、レンズを提供する事です。

社長研究室では、震災の記録を掲載しています。その始まりは、1月17日にさんプラザビルが全面倒壊し、立ち入り禁止になりました。すぐに代わりの店舗を探し、2月の1日から代替店舗での営業を始めました。

スタッフは通勤できなくなり、退職していきました。そのような中で、すぐに往復葉書を使って、お客様の安否とコンタクトレンズの状況をお伺いしました。

多くの方から、コンタクトレンズがなくて困っているという返信があり、すぐにメーカーの協力を得て、レンズの無料配布や大幅割引販売と、ケア用品の無料配布を何回も行いました。

こんな思い出を奧さんと話しながら、東遊園地の広場に来てみると、毎年のように青竹を使った、ろうそくの明かりを灯す、1.17の大きな文字が作られています。

ろうそくの灯りに向かって手を合わせ、亡くなった方への鎮魂の気持ちを表しました。

東遊園地には、いくつものテントが建てられ、市民運動家が鎮魂の呼びかけをしています。

1月17日には、関西のテレビ局から沢山の取材用のバスが集まっています。

神戸市役所を中心に、震災直後には、多くの支援活動が繰り広げられていました。思い出すのは携帯電話が無かった頃の無料電話です。

無料電話の前には、長い行列ができていました。お弁当の無料配布もありました。市役所のホールは、段ボールを敷いて、避難場所にしている多くの市民の方が集まっていました。

インターネットや携帯電話がない頃なので、行方を探したり、現在地を知らせる方法は、紙に書いて、壁に貼っておく方法でした。

手書きの掲示板を読みに、多くの市民の方が集まって、気になる人の消息を探していました。

主催者のテントに行き、記帳をして、志を寄付し、白い菊の花を一輪頂いて、所定の場所に行き、犠牲者の皆さんに鎮魂の祈りを捧げてきました。段々と阪神淡路大震災の記憶が薄らいでいきます。

今の技術では、震災を予防する事も、予知する事も出来ません。ただただ、もう来ませんようにと祈るばかりです。

2014年1月17日(金)