ボシュロム足利英幸社長と中華料理の神仙閣で歴史談義

足利英幸社長が、日産自動車に勤務しているとき、車販売の実績を評価され、社長賞を頂いたそうです。 ボシュロム足利英幸社長来社(2)

ボシュロム足利英幸社長

神戸を代表する中華料理店と言えば、最初に名前が挙がるのは、神仙閣か第一楼です。

山手の方には、異人館の東天閣もあります。

足利英幸ボシュロム社長と、会社でお話をした後は、神仙閣にご一緒して、これから夕食です。

コンタクトレンズの企業組織文化の調査をしたときの結果を、足利英幸社長にお渡しして、2007年と2012年の5年間の企業組織文化の変化について、レポートをお渡ししました。

足利英幸社長は、ボシュロム社の企業組織文化がどのように変わったか、また、同業他社との違いについて、熱心にレポートに目を通しておられました。

先日、足利英幸社長から、自己紹介の記事を頂いて、それを読むと、足利英幸社長の仕事の経歴と、趣味などが書かれていたので、まず、仕事の上でのお話をお聞きしました。

足利英幸社長は、日産自動車で、自動車販売の経験をされています。

そして、あるときに、社内の最高売り上げで、社長賞を頂いたそうです。

どのようにして、競争企業の中から、日産自動車の車を数多く販売できたのか、そのお話を聞きました。

一般に自動車を買うときは、競争企業の何社かを比較検討し、最終的にどこかに決定するわけですが、ショウルームにお客様が来られた時は、すぐにご自宅へ伺って、販売活動を始めるそうです。

しかし、ライバル企業も同じような販売活動をしているので、どこが受注するのかは、いろんな要因があって、その行方は読めません。

結果的に日産自動車にならなくても、その後、時々フォローの為に、自宅訪問を続け、次の買い換えのチャンスを待って、その期間に他社の車であっても、なんらかのサービスが出来るチャンスを待っています。

そして5年か6年経って、次の買い換えの時には、初めてお会いするお客としての関係から、顔なじみの関係になって、一歩優位なセールス活動ができるように、心がけたそうです。

趣味に、歴史小説があります。

特に、戦国時代の終わり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人の武将の小説が好きだそうです。

中でも織田信長が好きで、松葉博雄も戦国時代の小説をよく読むので、話しが弾みました。

織田信長のお側に仕えて、織田信長が言ったこと、したことなど、お側に居ないと知ることが出来ない、織田信長の行動記録を、事細かく記録に残した右筆(ゆうひつ)が居たことを、足利英幸社長から話題になりました。

その名は、太田和泉守牛一です。この方が大変なメモ魔で、それが結果的には、後世の研究者に大変貢献しています。

例えば、長篠合戦についても、太田牛一の記録で、その後の屏風絵が描かれています。

織田信長が四国の長宗我部元親を称して、彼は『鳥無き里のコウモリ』と言いました。

その意味は、コウモリは鳥のようでも鳥でない、という事で長宗我部元親は、英雄のように見えるけど、ライバルのいない英雄で、本当の英雄ではないという意味です。

歴史に『もし』を言っても仕方がない事ですが、歴史ファンは、もしを言いたがります。

例えば、「もし、織田信長が本能寺で泊まった時、もっと警備がしっかりしていたら、明智光秀に討たれなかったかもしれない」というもしです。

豊臣秀吉にしても、「もし、豊臣秀吉に実子の後継者が若くしていたら、何人もいたら、大阪城は落城しなかったのではないか」という話しです。

歴史小説の話しをすると、もう止まりません。飲みながら、美味しい中華料理を頂きながら、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、幕末の維新の時代、などが、次々に出てきます。

足利英幸社長は、明日の事があるので、今夜は新神戸の最終便に乗って、東京に戻らなければなりません。

リミットの時間は8時半です。

いったん、足利英幸社長を神仙閣の玄関までお見送りして、松葉博雄と奧さんも、雨の中を帰宅します。

まだ御料理も残っています。お酒も残っています。

飲み足りない人は、この後、ゆっくりと今夜の足利英幸社長が松葉博雄の会談の雰囲気を話題にして、飲む事になります。

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2013年12月09日(月)