小倉城の初代藩主は、細川忠興公です。

小倉城の藩主は、細川家から、その後、小笠原家に替わっています。  北九州市 小倉へ出張(6)

小倉城企画展では、三城物語を展示しています。初代小倉藩主、細川忠興および、細川家が歩んだ、九州の3つのお城のことです。

細川家は、中津、小倉、熊本と、三城の城主となり、それぞれの地域で、治世に手腕を振るいました。その細川家が歩んだ、3つの城で発掘された、当時の品を展示しています。

天守閣から下りて、お城の外に出て、お城の周りを一巡してみます。

お城の背景に、近代建築が壁のように突っ立っていない光景を探すと、小倉城もお城らしく見えてきました。

きっと、お城は外敵を防ぐために、堀は二重にも、三重にも掘られていたはずです。それが、ほんのわずかの堀しか残っていません。

堀の水は、よどんでしまうので、噴水を使って、水の循環を作っているようです。

錦鯉はいないかなあと、堀の近くに行き、のぞき込んでみても、鯉の姿は見えませんでした。

11月に入って急に寒くなり、小倉城に吹く風も、噴水のしぶきを運んで、頬に冷たく感じます。

このあたりの光景が、一番お城らしい光景です。近代建築は背後にうつりません。

1632年、細川家が肥後国に移ると、譜代大名として播磨国から小笠原忠真が小倉城に入ります。それ以後、小倉藩藩主の居城となります。

1837年、本丸御殿、天守を焼失し、それ以後天守は再建されませんでした。

1990年に、お城の内部を全面リニューアルしたそうです。ジオラマや、からくりシアター等を導入し、体験型施設に変更されました。(wikipediaより)

お堀の周りを歩いていると、昨日、ふぐ料理店の『あかぎ』で聞いた、金光教の教会がありました。

お城の水質は、非常に状態が良くて、鯉は見えないものの、水草や底の砂が見えるほど綺麗でした。

お城を通り抜けてタクシーを探そうと思っていると、こんなところに西日本工業大学がありました。

西日本工業大学は、「人間性に支えられた高度な工業技術者を広く学術の研鑽を通じて育成する」、という理念のもと、教育と研究をされています。

道路一本隔たっただけで、小倉城に隣接した大学があることは知りませんでした。ここも、お堀を埋めてつくったキャンパスでしょうか。昔の殿様が見たら、ビックリしそうです。

2013年11月19日(火)