京丹後市久美浜 豪商稲葉家本家 幼馴染の親戚が久美浜へ文化財として寄付 通巻

久美浜の稲葉家本家から 久美浜に来てちょうだいと誘われて、奧さんと二人で久美浜に一泊旅行に行きました。 久美浜訪問記(1)

久美浜訪問 稲葉家を訪ねて

京丹後市の久美浜に泊まりがけで行くことになりました。

親戚で幼なじみのyukiちゃんは、

久美浜の豪商稲葉家本家に嫁いでいます。

久美浜に泊まりに来ない?と、お誘いがありました。

久美浜はどんなとこなのか、

豪商稲葉家本家はどんな家なのか、これから見てきます。

奧さんとお誘いに乗って、朝早くから出発しています。

中国縦貫道から舞鶴道に入り、丹波市を通過しています。

今日は平日ですが、日本海に海水浴に行く車が

先を争うように、スピードを

上げて走り抜けています。

久美浜には、舞鶴から向かう方法と、

和田山に向かい、そこから地道で久美

浜に向かう二つのルートがあります。

往路は、北近畿豊岡自動車道から、

和田山に向かう為、春日ICで北近畿豊

岡道に乗り換えです。

空は青く、気温は高く、気持ちもウキウキして、

ドライブをする運転のハンドルも軽く感じます。

遠阪トンネルに入ります。

松葉博雄の幼なじみのyukiちゃんは、

昔は可愛らしい女の子で、今では主婦です。

車の中で、奧さんに幼なじみのyukiちゃんの事について、

昔の話を思い出しながら説明をします。

親戚関係のだいたいの事は知っていて、

全く知らない、突然現れた未知の人ではありません。

和田山ICまで来ました。和田山から地道になります。

ここからは、養父市、豊岡市の方へ車を走らせます。

のどかな風景が現れました。

コウノトリの里、亀岡市を通ります。

コウノトリが飛ぶ、大きな看板が出ています。

コウノトリは絶滅危惧種ですが、

特に、日本国内の野生のコウノトリは、

昭和43年に絶滅してしまっています。

若いときなら、8月のこの時期は、

日本海や久美浜と言えば、海水浴に行く

ところですが、海に行って

泳ぎたいと弾んでるのは松葉博雄だけで、奧さん

は日焼け、暑さ、けだるさで、

海辺に行く意欲は全くないようです。

神戸からおよそ3時間で、

マツバガニで有名な久美浜に到着しました。

久美浜といえば、会社で慰安旅行に、蟹ツアーで何度かきています。

蟹ツアーで来てた時には、

まさか久美浜に幼なじみのyukiちゃんの

家があるとは思ってもみませんでした。

 ≫2006年11月

久美浜駅につくと、

直ちにyukiちゃんに携帯電話で連絡します。

yukiちゃんが来る間、久美浜駅に入り、

駅の中を見て回りました。

駅の中には、ポスターが沢山貼られています。

目に付くのは、宮津燈籠流し花火大会のポスターです。

久美浜の海には、昔はくじらが寄ってきていたようです。

ポスターには、丹後・伊根湾の捕鯨の物語を思い出させる

『寄り来る鯨』のポスターがありました。

ポスターの絵柄では、数隻の和船で、

くじらを囲み、大きな網でくじらを絡め獲る漁法です。

多分命がけです。

くじらの懸命の抵抗があれば、

大きな波が起き、小さな和

船は転覆する可能性もあります。

先日、太平洋をヨットで横断しようと

計画・実行した、辛坊治郎アナウンサ

ーとブラインドセーラーの岩本光弘さんの二人は、

マッコウクジラの群れに

遭遇し、ヨットをひっくり返されて、

危うく遭難するところでした。

捕鯨の隣には、大相撲綾部場所のポスターがあります。

なんと、60年ぶりの大相撲だそうです。

久美浜駅でポスターを見て車に戻ると、

yukiちゃんは自転車で駅まで迎えに来てくれていました。

久美浜駅の駅前は、暑さのせいか、

道行く人は誰一人いません。

冬なら雪も降る寒い寒い街ですが、

8月の初旬の暑さは、37度を超えています。

自転車に誘導されて、

yukiちゃんのお家に向かいます。

久美浜の如意寺は、鎌倉時代伏見天皇の勅願寺です。久美浜訪問記(2)

花説法で有名な如意寺は、別名花の寺とも呼ばれて、境内は年中花いっぱいのお寺です。 久美浜訪問記(2)

久美浜の海は、日本海に続く久見浜湾になっています。

狭い砂州の間から、

日本海の海水が久見浜湾に入り込んでいて、外海と直接

繋がっていないので、久見浜湾の水は、

透明度が澄んでいません。

yukiちゃんに案内されて、

yukiちゃんのログハウスに荷物を置くと、

早速周辺をドライブに行きます。

お昼前に着いたので、ドライブの目的は、

昼食に繋がっています。

久美浜駅からすぐ久美浜湾があります。

丸い形をした久見浜湾には、海を囲むように、

船着き場や、別荘地、民宿、一般住宅などが建ち並んでいます。

久美浜小学校の前を通って、

昔の今では廃校になった、小学校の跡に向かいます。

途中、花の寺として有名な、

寶珠山「如意寺(にょいじ)」に来ました。

ここは、「関西花の寺二十五カ所霊場会」の第七番霊場です。

関西花の寺二十五カ所とは、

二十世紀の後半、昔から「ボタン寺」、「アジ

サイ寺」など、「花の寺」と称される

関西一円2府4県の25ヵ寺が集まって

「関西花の寺二十五カ所霊場会」が結成されました。

25ヵ寺は宗旨宗派の垣根を超えて集まった、花がご縁のお寺です。

© 2013 関西花の寺二十五カ所公式ウェブサイト

二十五カ所寺の内、松葉博雄が訪れたのは3カ所ありました。

摩耶山天上寺

永沢寺

高源寺

関西花の寺二十五カ所霊場会事務局

京都府福知山市観音寺1067 観音寺内 電話0773-27-1618

新刊『花説法』

花の寺・25人の住職の法話集 

1200円 が、受付所にて販売されています。

花説法とは、 

「関西花の寺二十五ヵ所」巡礼の目玉の一つとも言えるものです。

10名以上のグループで巡拝すると、

各寺の住職による「花説法」と呼ばれる法話を聴くことができます。

花を愛でる心から人生観まで、

ユニークな話が巡拝者に喜ばれています。

(© 2013 関西花の寺二十五カ所公式ウェブサイト)

境内はセミの鳴き声が、染み通るような鋭さで鳴いています。

如意寺は花が良く咲いて、

一番見頃の頃はいつでしょう?

桜でしょうか?つつじでしょうか?

如意寺には、300種類の山野草が生育しています。

桔梗の花です。今の時期はこのほか、

百日紅、9月下旬には萩、

秋には美しい紅葉も見られるようです。

桔梗紋の花は、明智光秀の家紋です。

明智光秀が、主君であった織田信長を討ち、

光秀が羽柴秀吉によって滅ぼさ

れた後は一時「裏切り者の家紋」

と認識されるようになり、桔梗の花はとん

だ迷惑を受けました。

庭の錦鯉でも、暑さを避けるように、

出来るだけ木陰に入り、直射日光を避けています。

錦鯉を育てるとき、直射日光があたると、鱗にしみが残ります。

yukiちゃんと広い境内を回りながら、

目に付いたお堂の前で、

とりあえずはお詣りする事にしました。

3人とも小銭の持ち合わせが無く、

コインの代わりに3人で千円札一枚にし

てもらい、お堂の前で、

それぞれが仏様にお願いをしました。

祭りの提灯を吊していました。

8月9日に、千日会(本尊会で、花火・灯籠流し・大文字焼きなど町をあげ

ての夏祭)があるので、その準備の一環かもしれません。

提灯の吊る作業をしていたのは、住職の長男の方です。

yukiちゃんは、この辺りの名士の奧さんなので、

お寺の方にもちゃんと挨拶をしました。

境内には沢山の野草が植えられていて、

ゆっくり回ればかなり多くの植物に出会えそうです。

でもこの暑さ、ゆっくりはしてられません。

如意寺では、千日会の、

お祭り用の燈籠と思われる燈籠が、山野草の庭か

ら、木洩れ日の小径へと続いて、吊られています。

木洩れ日の小径に来ました。

小径の両側に植えられた草木も、カラカラにの

どが渇いた人のように、お水をほしがってるように思います。

回遊散策道の入り口です。

こちらを進むと、みつばつつじの自生林がありますが、

開花期は過ぎています。

約10分の散策コースです。

久美浜の小さな街にも、

こんな名刹があるとは知りませんでした。

春には訪れてみたいものです。

それもそのはず、如意寺は、鎌倉時代の伏見天皇勅願寺です。

ご本尊は、十一面観世音(眼守護)です。

如意寺のすぐ前には、久見浜湾が広がって見えます。

こんな所に別荘があったらいいなぁと、

思えるような風光明媚な所です。

でも、冬になると、とっても寒くなり、

雪も降り、車で来る時にはスノータイヤが必要のようです。

仁王門の前に来ました。

ここから久美浜湾の水辺が一望できます。

久美浜の海辺に、風蘭の館があり、臨海学校として使われています。久美浜訪問記(3)

風蘭の館は、湊小学校・蒲井分校でした。 

これから、yukiちゃんの案内で、

手打ち蕎麦を食べに行きます。

場所は、「風蘭の館」です。風蘭の館は、

山陰海岸ジオパークの中央部、蒲井にあります。

少し前まで「湊小学校・蒲井分校」でした。

その校舎を改築してきれいにしたようです。

校舎の造りは昔のまま、

桜の木も昔のままに残しているそうです。

校庭のすぐ前は蒲井浜、館の名前は、

海辺に咲く風蘭の花にちなんで、

「風蘭の館」となりました。

(本文参照元:風蘭の館ホームページ

:http://furan-yakata.com/)

風蘭の館の名物は、

近くの海で採れた魚介類の料理と手打ちそばです。

宿泊施設と食事処を備えた

京丹後市の公共施設として生まれ変わりました。

京都の最北西の小学校跡地になります。

教室は宿泊用の部屋、

体育館は囲炉裏を配備したお食事処、校庭は大きな桜

の木がある駐車場にと、

かつての雰囲気を残して、上手にリフォームされています。

こんなところに来たかった、こんなところで合宿したかった、

と思わせるような、絵に描いたような臨海学校です。

丁度、中学生の一団が、臨海学校に集い、

かき氷を食べていました。

車のナンバーを見れば、なんと同じ神戸番号です。

神戸のどこから来たのでしょうか?

本当に楽しそうです。

先ほどまで久美浜の海で泳いでいたのか、

水着を着た女学生も居ます。

みんな暑さを凌いで、木陰でかき氷を頂いています。

お蕎麦を頂く部屋から、

中学生のグループの行動を見ていると、何人もの大

人のサポーターが中学生達をサポートしています。

氷を削って、イチゴやレモン水をかけて、中学生達にあげています。

見ていると、おかわりをして、

またおかわりに来て、何だか食べ放題の氷のようです。

yukiちゃんから、風蘭の館で手打ち蕎麦をいただくよう、提案がありまし

た。もっと詳しく言えば、

yukiちゃんは蕎麦打ちの有段者だそうです。

三田にある永澤寺に、蕎麦打ち道場があり、

この永澤寺の道場で、何度も昇級試験を受けているそうです。

小学校を改造した食堂は、元は講堂のようです。

天井を見れば、太い柱を使った梁が下から見えます。

そば処 風蘭の館 では、

風蘭定食が1050円、皿そばが750円、追加そば

は1皿100円、ノンアルコールビールが300円でした。

風蘭定食には、盛りそばの他に、かやくご飯が付きます。

臨海学校の学生達を見ていると、

昔の中学校の時代、夏休みにみんな集まっ

て、学校の校舎で泊まったことを思い出します。つ

い、あの頃は良かった、と言いそうです。

風蘭の館を出て、中学生達が泳いでいたと思われる、

すぐ近くの浜辺に寄ってみます。

地図で見ると、久美浜湾は、

ほんの狭い水路で、日本海と繋がっていて、久

美浜湾自体は、日本海の荒波が伝わってこない、

湖のような静けさです。

お昼を回って、一日の中で

一番暑い14時頃になってきました。松葉博雄

は、車を停めて、水着に着替えて、

このまま久美浜湾にまっしぐらに飛び込んでいきたい気持ちです。

そんな希望は、yukiちゃんと奥さんに却下され、

またドライブが続きます。

海に面した喫茶店の、

OLD FASHIONED STYLE カジュアルレストラン

「BAY COOK(ベイ・クック)」に寄ります。

ホームページ:http://www.baycook.jp/

海を眺めながら、

ほっこりとくつろげる空間のお店です。

不思議なことが起きました。

窓越しに見える久美浜湾の海の波を見ていると、舟に乗っている

ような錯覚に陥り、揺れる波が、

船酔いを起こしそうになってきました。

喫茶店に行って、船酔いしたと言えば、

信じてもらえるでしょうか?きっ

と、そんなばかな、と言われるかもしれません。

でも本当に、窓の外の波を見ていると、

yukiちゃんと奥さんは、船酔いになってしまいました。

館の周りに、大きな蜂がぶんぶん飛んでいます。

どうやら館の屋根に、

クマンバチのような大きな蜂の巣があるようです。

クーラーの効いたお店の中から、

また野外に出ると、ムンとするような熱気が襲ってきます。

すぐに、駐車している車の所に向かいます。

車も、少し停車しているだけ

で、車内は50度を超えるくらいの

熱気に包まれています。早く窓を開け

て、クーラーを付けて、車を走行させれば、

久美浜の涼しい風が頬をなでてくれます。

これから、次の目的地に向かいます。

かぶと山にあるビショップという雑貨品のお店です。

久美浜で神戸のお店の服を買うとは思いませんでした。久美浜訪問記(4)

ビショップでは、夏のバーゲンの開催中です。久美浜で神戸のお店の服を買うとは思いませんでした。久美浜訪問記(4)

久美浜湾は、

周囲を回るとどこから見ても海の見える美しい光景が続きます。

ビショップは、やや高台にあるお店です。

探して林道を走っていると、道に

迷ったかなと、心配になってきました。

しかし、yukiちゃんの道案内は間違

っていませんでした。ビショップの久美浜店に着きました。

こんな、人里離れた鄙びたところに、

何でこんなしゃれたお店があるのかと思います。

車を止めて周りを見れば、ここからも海が見えます。

yukiちゃんの話によれば、この辺りのあちらこちらに、

yukiちゃんの家である、稲葉家の土地があるそうです。

別荘を造りたい人が、

譲ってほしいという話もあるそうです。松葉博雄も、

こんなところに別荘があればいいなぁと思い、

ほしいなぁと一言言うと、

yukiちゃんは、うちの家に泊まって

、別荘代わりにすればいいわ、と、話はそこまでです。

さて、yukiちゃんは、このビショップに何故立ち寄るのでしょうか?

尋ねてみると、ビショップの本店は神戸だそうです。

社長は、森省三さんで、

本社は兵庫県神戸市中央区浪花町59神戸朝日ビル9Fにあります。

yukiちゃんは、神戸の女子大に行っていたので、

今でも神戸が好きだそうです。

それで、ビショップのファンになっているようです。

ビショップがどんな店かといえば、

「ビショップは、服も雑貨も暮らすため

の道具と捉え、歴史あるもの、本物を選び、

人々の暮らしの中で長く親しま

れ、時を超え、歴史を生き抜いていくであろう

「everyday classic」を紹介していきます。」という店だそうです。

8月になると、どこのお店もバーゲンが始まっています。

バーゲン情報に鋭い松葉博雄の奥さんは、

早速、バーゲンの値札の付いた服

を探します。松葉博雄のために、

2着服を選びました。もちろん支払いは松葉博雄です。

お店の外のガーデンには、早くも栗の実が付いていて、

触ったら痛そうなイガイガが、

「どう?私に触ってみる?」と、

松葉博雄の指をからかっています。

ビショップの向かいは、

同じ経営者のレストランがあります。中に入ると、

厨房の様子が見えます。このお店は、

京丹後ふるさと応援団協賛店です。

通りすがりでは絶対に見つからないような、

隠れた場所にあっても、ビショ

ップのお店は、雑貨店でも、レストランでも、

どんどん人が集まってきてい

ます。商売は、立地8割と言われているのに、

ビショップにはこの立地の法則は通用しないようです。

yukiちゃんに案内されて、

次はかぶと山公園キャンプ場です。矢印の向こう

に行くと、オートキャンプサイトです。

オートキャンプサイトは、テントを

張って寝泊まり出来るエリアのようです。

かぶと山公園ホームページ:http://www.kabutocamp.com/

車を降りて、久見浜湾沿いを歩きます。

案内板には、急に深くなっているの

で、泳がないでくださいと書いていました。

第二キャンプ場です。かぶと山公園は広くて、

いくつかあるキャンプ場と、

炊事場が分かれています。外れの方には、

アスレチックもあるようで、子供

のいる家族連れには重宝しそうな施設です。

yukiちゃんが案内してくれた次の場所は、

「くみはま道の駅 SAN KAI KAN」です。

久美浜産のメロン、スイカ、桃などの看板が出ています。

このあたりは、鳥取砂丘と同じように、

砂地が続いているので、

特産品も、砂地に合う農作物が多いようです。

今晩は、yukiちゃんのログハウスに泊まるので、

今日の野菜は買えません。買うなら、

明日、神戸に戻る直前の頃です。

見てみるだけですが、どんなものが

並んでいるかと言えば、魚は日本海の

幸、やまかれいです。

食べ方は、唐揚、バター焼き、焼き物に向いているようです。

久美浜にも桃が栽培されていて、今が旬の桃です。

桃は、少し触れただけでも、

そこから桃の果実が傷んでくるので、スイカの

ように、叩いてみたり、

押さえてみてはいけません。本当に見るだけです。

おいしそうなので、明日の買い物リストに入れておきます。

稲葉家本家の東には、稲葉家の東家があります。通称は、東さんと呼ばれているようです。久美浜訪問記(5)

稲葉家の東の、東さんのお家から、久美浜の浜辺に歩いて出られていました。敷地内では、丸子船の修復にも取り組んでいます。 久美浜訪問記(5)

久美浜の街に戻って、yukiちゃんの案内で、

稲葉家の分家によります。

稲葉家では、分家が多く、本家を中心にして、

東にある分家を、ひがしさんと呼んでいます。

なるほど、みなさんお名前は稲葉さんなので、

稲葉同士が、稲葉さんに稲葉

さんと呼んでいると、訳が分からなくなるので、

稲葉本家の東にある稲葉さ

んは、ひがしさんと呼ぶようになったそうです。

ひがしさんの家の前には、

久美浜湾から疎水のように、海水が流れ込んでき

ています。この景色、どこかで見た景色です。

そうです、琵琶湖の周辺の景色です。

ひがしさんのお家は、敷地が2000坪以上あり、

庭が久美浜の海に続いてい

たそうです。残念なことに、浜辺は埋め立てられ、

今は浜から少し離れています。

とても広い家で、母屋の他に、

いくつもの長屋があります。その長屋の中に

は、今は廃れてしまった久美浜の海を

行き来していた丸子船の復元作業が始まっています。

母屋から海岸に向かって、お庭を歩いています。

昔のままの土蔵や、長屋が遺っています。

この、家から浜辺にいたるまでの庭を見ていると、

思い出すのは、尋常小学読本唱歌『海の子』の歌です。

我は海の子白浪の

さわぐいそべの松原に

煙たなびくとまやこそ

我がなつかしき住家なれ。

稲葉家では、糀を元に、お酒、味噌、醤油、

などを作っていたそうですが、

作ったお酒、醤油、味噌は、樽にいれられ、

船で運ばれていたようです。そ

うなると、自家用の船が必要で、

多くの和船を所有していたそうです。

その、和船の維持も必要で、

船大工さんも抱えていたようです。

そこで、和舟工房が遺っています。

北前舟貿易で財の基盤を成したこともあり、

舟や舟にゆかりのある船具、工房が配されています。

北前船と言えば、

淡路出身の高田屋嘉兵衛も使っていました。その模型です。

和船工房の部屋を覗いてみました。

中には修理中の丸子船があり、外には丸

子船に使う柱や櫓が保存されています。

このように、久美浜を中心とした、

江戸時代の経済文化を残すのは、稲葉家しかできません。

稲葉家のひがしさんの奧さんから、

家に入るときは玄関から入って下さいと

言われ、木戸口を出て、もう一度外に回り、

改めて正面玄関から稲葉家へ入ります。

玄関には、稲葉と書かれた大きな暖簾がかかっています。

ひがしの稲葉家では、造酒屋をしていたそうで、

近年、昔の骨組みを残して、リフォームをしたそうです。

使った檜は、すべて、今の稲葉家(

ひがし稲葉家)の山林から切り出した、檜を使ったそうです。

調度品も、昔の物を使って、現代風に少し手を加えた、

椅子、机、家具が並んでいます。

天上を見ると、昔暗かった酒蔵は、明かり取りがされ、

部屋の中まで日が差すように工夫されています。

古民家を研究して、新しくリフォームする研究者もいるそうで、

京都から来てもらって、リフォームしています。

2階から見る景色は、稲葉家の亡くなったご主人が、学生時代に覚えてい

た、家の母屋から、そのまま久美浜の海に出られた、

昔の思い出を元に、

2階からは海が見えるように増築したそうです。

部屋の隅には、旧家の稲葉家には対照的な、

可愛いフランス人形が椅子に腰

掛けています。これは誰の趣味でしょうか?

確かに、2階からは久美浜の海が見えます。

少し前、まだ海岸線が埋め立て

られていない頃は、もっと身近に、

1階からでも久美浜の砂浜が見えていたそうです。

酒蔵の構造を支える梁は、今も遺っています。

暗かった屋根裏も、明るく見

えています。相当な研究の末、リフォームが出来た事が伺えます。

お部屋を一通り見せて頂いて、

稲葉家の東さんの奥様と、しばし団らんです。

稲葉家本家も、稲葉家東家も、

近年骨董品の窃盗団に入られています。めぼ

しい骨董品、中でも皿や、茶碗、とっくり、

壺などの焼き物は、良い物を狙って、持ち去ったそうです。

一度泥棒に入られて、それからは、セコムとか、

監視カメラとかを設置し

て、十分な防犯対策をしています。

2013年8月7日(水)

稲葉家本家の屋敷と家財は、京丹後市に寄贈されました。久美浜訪問記(6)

久美浜の稲葉家住宅は、文化庁の登録有形文化財に指定されています。 久美浜訪問記(6)

稲葉家本家の分家、ひがしさんのところで、

お喋りが続き、そろそろ夕ご飯

時になったので、失礼をして、

yukiちゃんのお家に戻り、荷物を置くと、こ

れから今夜の食事処、「古谷屋(ふるたにや)」に向かいます。

古谷屋さんは、稲葉家本家の法事があったときには、

法事の後の会食に使うお店だそうです。

お店に上がると、個室に通されました。

廊下には、古い浮世絵を貼り合わせた、屏風がありました。

喜多川歌麿の木版画です。

作品名は分かりませんが、歌麿が好んでよくモチ

ーフに使う、髪結いの一場面が描かれています。

個室からはお庭が見えて、

その先には久美浜の海も見えます。

この庭では、食材持ち込み、

コンロ貸し出し有りで、バーベキューも出来るそうです。

夕食は、古谷屋自慢の旬会席料理です。

魚は地元で捕れたものを使っているそうです。

夏らしい色合いの小鉢や皿に、

少しずつ、お料理が盛りつけられています。

yukiちゃんとは、昨年の秋に会って以来です。

yukiちゃんは、昨年ご主人を

亡くされ、今年は初盆になります。

何しろ、稲葉家本家のご先祖様を守ると

なると、お盆の頃はどこにも行けません。

yukiちゃんのご主人は稲葉家本家の当主でもあり、

元岡山大学農学部学部長を務めていた学者でもあります。

岡山大学の教授としての定年の後は、

趣味の生活を楽しく送ってたそうです。

松葉博雄が話を聞いて、偉いなぁと思ったのは、

国登録有形文化財に指定さ

れた、稲葉家本家を、

個人の所有物から京丹後市に寄贈した事です。

重要な文化財は、個人で維持できるものではありません。

特に、不動産の場合は、維持管理が大変です。

yukiちゃんの話では、夏になると、

いつも広いお庭の草むしりを、毎日毎日していたそうです。

ご主人が決断して、京丹後市に屋敷を寄贈したことで、

草むしりから解放されたそうです。

まだ、開けたこともない蔵もあったそうです。

蔵を開けると、豪商稲葉家が集めた、家財、骨董品、美術品、刀、武具、

皿、壺、絵画などがいっぱい詰まっていたそうです。

小さな財産争いで悩んでいる人が聞けば、

驚くような太っ腹な話です。

文化財をつけて、蔵の宝物を付けて、

屋敷の家財を付けて、2001年に京丹後市に寄付したそうです。

yukiちゃんのご主人にお会いしないままでしたが、

ログハウスに戻って、愛

用の自分で作ったという家具の椅子の上に、

大学教授の頃の写真を置いて、

初盆らしい生前の話をいろいろ聞かせてもらいました。

中でも、松葉博雄が負けていたのは、お酒の量です。

ウイスキー、ワイン、日本酒、ビールなどを

ぐいぐい飲んで、楽しい話をしていたそうです。

遠くから、花火の音のような、

響きが聞こえて、これはたまらなくなって、

花火を追って、久美浜の海の方に行ってみる事にしました。

この近くには、大きな天橋立に対して、

小さな天橋立の小天橋があります。2013年8月7日(水)

稲葉家本家の蔵には、沢山の食器が未整理のまま残っていたそうです。久美浜訪問記(7)

稲葉家本家のお墓は西方寺にあります。稲葉昭次さんの、初盆のお参りをしてきました。 久美浜訪問記(7)

豪商 稲葉家本家を、久美浜町へ提供した後、稲葉昭次さんと、yukiちゃん

の、二人の住処は、久美浜の海に近い稲葉家本家の土地に、ログハウスを建

てて、そこで暮らしています。

稲葉家本家の屋敷には、蔵がいくつもあり、

蔵を開いて、全ての所蔵品を点検したことが無いそうです。

食器類の蔵には、来客用のお皿が沢山あったそうです。松葉家でもそうでし

たが、戦前には自宅で客をもてなすのが普通で、祝い事などには、50枚と

か100枚の同じ絵皿が、桐の箱に入って、蔵に収まっていました。

豪商 稲葉家本家ともなれば、その所蔵する絵皿は、

古伊万里でも、沢山あったそうです。

その中の、ほんの一部を、日常の食器として使っています。

見せてもらうと、綺麗な染め付けです。

yukiちゃんは、最初、松葉博雄の朝食を、

パンとコーヒーにしようと思って

いました。それを知った松葉博雄は、

パンは苦手、バターもミルクも苦手な

ので、粗食でもいいから和食にして下さいと、注文をつけました。

そこで今朝の朝食は、日本海のササガレイ、味噌汁、

漬け物はナスと、大根、そして大根の粕漬けです。

デザートの白桃は、松葉博雄が神戸から持ってきた白桃です。

朝食は和食でも、コーヒーは頂きました。

薄い薄い、アメリカンコーヒーです。

朝食が終わると、少しくつろいだ後、稲葉家 

本家の菩提寺の、寂静山 西方寺へ、お参りに行きました。

昨年、yukiちゃんのご主人の、

稲葉昭次さんが亡くなり

、2013年の今年の盆は、初盆になります。

今日も朝から照りつける日差しは強く、

頭上からは焼き付けるような太陽が、

ギンギンギラギラと燃えています。

西方寺のお墓は、よく手入れがされたお墓で、

初盆を迎える稲葉家のお墓に、お参りしてきました。

yukiちゃんは、稲葉昭次さんは、お酒も強いし、

お客さんが来るのも大好きだったので、

松葉博雄が、もっと早く、

昭次さんが生きているうちに会って欲しかったと、お墓の前で呟いていました。

豪商 稲葉本家は、糀屋を生業として、栄えてきました。久美浜訪問記(8)

稲葉本家は、享保20(1735)年、幕府の公金預かり所となりました。 久美浜訪問記(8)

稲葉家本家の菩提寺、西方寺のすぐ前が、稲葉家本家の住宅です。

稲葉家本家の住宅を、文化財付きで、

久美浜町に提供した後は、住宅の管理は、

もうyukiちゃんから離れました。

広い広い稲葉家本家の住宅は、夏になると、

草ぼうぼうに雑草が茂り、毎日毎日草むしりが、

yukiちゃんの日課だったそうです。

屋敷の広場には、以前は土間だったところに、

今は芝生が植えられています。

稲葉本家の蔵は、蔵資料館となっています。

入場料は、無料です。

yukiちゃんは、以前に住んでいた住宅ですが、

久美浜町に提供した後、

この住宅を訪れるのは、初めてのようです。

今管理している係の人は、yukiちゃんが、

この住宅の元の主であることを知

らないまま、この住宅についての説明を始めようとしていました。

この写真は、元の稲葉家本家が

商売をしていたときの、中心の場所です。

稲葉本家には、宝蔵としての2つの内蔵と、

金蔵・米蔵・道具蔵などの外蔵があります。

現在、その蔵を稲葉家の資料をはじめ、

町に縁のある人達の作品展示や、ま

た町内外から訪れた人の陶芸・お香体験の場として活用しています。

久美浜にまつわる作家の、絵とか写真の展示用になっています。

稲葉家本家は、国登録有形文化財(平成15年1月31日指定)の指定を受けています。

1.母屋(明治23年竣工)

2.長屋門(通称雛御門)

3.南宝蔵

4.北宝蔵

こんな重要文化財を、

個人が維持できる訳がありません。稲葉昭次さんと、

yukiちゃんが相談して、久美浜町に、

文化財を提供したのは、納得できます。

以前は、屋敷はもっと広かったそうですが、

一部を割譲して、700坪くらいの屋敷になりました。

庭の一隅に、第13代稲葉市郎右衛門の像が建っていました。

この銅像は、旧国鉄宮津線の敷設や

産業復興に貢献した稲葉翁を顕彰して、

昭和25年熊の群町村会によって建立されました。

yukiちゃんに尋ねると、稲葉家の隆盛の元は、

糀を作った事から始まってい

ます。糀は、お酒・味噌・醤油に使うので、

用途も広く、利幅も大きかったようです。

少しずつ、富が貯まり、それを借りに来る商人や、

大名が増え、担保にいた

だいた土地や骨董家財が増えて、

それを保存する蔵も増えていったようです。

稲葉家本家の屋敷を、あちらこちらから写真で写していくと、

素晴らしい文化財であることが、よく分かります。

稲葉本家のお屋敷は、時代劇の映画撮影に使えるような、昔の日本文化を残しています。久美浜訪問記(9)

稲葉本家のお屋敷は、国指定の文化財なので、広すぎて改造も出来ず、個人が暮らしてみると、住みにくい住宅のようです。 久美浜訪問記(9)

豪商稲葉本家の管理は、久美浜町教育委員会にあります。屋敷の見学は無料

です。広い屋敷に、警備員を付けることは、

経費もかかることなので、案内を務める警備員はいません。

稲葉本家の屋敷の中には、yukiちゃんが暮らしていた時と比べて、幾分変わ

った場所があります。以前にはなかった、

稲葉家がどれだけ税金を払ってい

たかを示す、番付表が掲示されていました。

一時、納税額は約3億円にもなったようです。

いくつかの蔵は、一つ一つを展示の場所に使っています。

その一つに、稲葉家本家の資料館がありました。

資料館の中には、太平洋戦争に出征した、

稲葉家の方の写真や遺品が展示されていました。

屋敷を囲んで、あちらこちらに庭があり、

庭には沢山の樹木が植えられてい

ます。この庭に、梅雨の頃から、

夏になると雑草がどんどん伸びてきていたようです。

部屋数が沢山あっても、実際に使う部屋はわずかです。一家族が、あちらこ

ちらの部屋を使えば、それだけ掃除をする部屋が増えるからです。

部屋にある調度品は、高価な骨董品もあるので、

展示中の現在では、昔のように高価なものは、展示していません。

苔の綺麗なお庭がありました。吟松舎から見たお庭です。

昔土の庭だった所は、今は芝生が植えられ、緑のじゅうたんのようです。

屋敷の廊下を巡りながら、以前の住民のyukiちゃんに、

当時の思い出を聞きながら、見て回りました。

2階に上がると、障子を外すと大広間になる部屋がありました。

部屋からは、久美浜の海や、京都銀行久美浜支店が見えます。

時代劇の映画が撮影できるような、昔の住宅が、目の前に広がります。

松葉博雄はこんな広い畳の部屋で、

エアコンを使わないで、自然の風に吹か

れながら、友達をいっぱい呼んで、

みんなでビールを飲んで、夏の久美浜の

ひとときを過ごしたいなぁと思いました。

大広間で、松葉博雄と奥さんは、

yukiちゃんに、この家での生活や、お家の

管理について、どのような事があったのか、色々聞かせて貰いました。

稲葉本家の住宅では、丹後のばら寿司定食が人気です。 久美浜訪問記(10)

久美浜のお土産は、日本海の干しカレイと、イカです。 久美浜訪問記(10)

稲葉家本家では、台所やお風呂の水回りは、

のようになっていたのでしょ

うか?公開されている屋敷跡では、

江戸時代に使っていたような、竈がありました。

yukiちゃんがこの家に来たときには、

お風呂や台所は、こんな古いままでは

ありません。ちゃんと生活しやすいように、

電気やガスを使った生活環境に改善されています。

上から差す太陽の直射日光が、

丁度頭上に来た頃、屋敷の日陰は最も少ない

時間帯になってきました。

久美浜は、冬は寒い寒い所ですが、真夏の頃は、

その寒さを穴埋めするぐらいの、気温上昇になってきました。

嘘か本当か、「時空を超えるポスト」がありました。このポストに、未来に

向けてメッセージを書くと、たとえば1年後の家族に、3年後の子供達に、5

年後の自分自身に書いたメールを受け付けてくれるそうです。

冬は体が凍えるほど寒く、夏は熱中症になりそうなほど暑く、

寒暖の差がとても大きい久美浜です。

稲葉本家の見取り図がありました。

松葉博雄も、子供の頃に、広い家に住ん

でいたので、広い家の遊び方を思い出します。

子供の頃に友達を呼んで、か

くれんぼをして遊んで、なかなか見つけられない楽しい思い出がありました。

お昼時に、稲葉本家では、食事のサービスがありました。ぼたもち付のばら

寿司定食が、800円です。ばら寿司定食をいただいてみると、

砂糖漬けのような、甘い甘いばら寿司でした。

稲葉本家の休憩室で見た新聞は、福島の原子力発電所の汚染水が、

1日300トン、海に流れているという記事です。

稲葉本家の見学を終えて、そろそろ久美浜を去る時間になってきました。何

か、日本海の魚のお土産をと思い、

yukiちゃんに案内してもらったのが、河清商店です。

当然、カレイの一夜干しを買います。

地元の名物は、鯛せんべいです。

これまで、久美浜のあちらこちらで鯛せん

べいを見てきましたが、同じ鯛せんべいなのに、

販売所によって、値段がまちまちでした。

日本海は、イカがよく捕れるところです。

お店のおじさんのお薦めでもあり、イカも購入しました。

もっともっと魚を買いたかったのですが、家に持って帰って、魚を捌いて料

理をするのは、奥さんの仕事になるので、見送りです。

久美浜のメインストリートを、写してみました。

一日の一番暑い時間帯なので、通る人はいません。

この道路にも、冬になれば雪が積もるのです。今の暑さでは、信じられない

ほどですが、確かに冬になると、日本海側は冷え込んで、吹雪に見舞われます。

久美浜湾の海水は、久美浜の町の中にまで入り込んで、運河のように船で物

資を搬送するのに適するように、水路が出来ていました。

久美浜にもう少し滞在すれば、花火大会や、灯篭流しがあるのですが、残念

ながら、神戸に予定があるので、これで久美浜を去ります。yukiちゃんは、

次は冬に、蟹を食べにいらっしゃいと、声をかけてくれました。冬の蟹を楽

しみに、夏の久美浜を去ります。

久美浜湾 海岸線は別荘地に適したロケーションです。久美浜訪問記(11)

久美浜湾 海岸線 久美浜から舞鶴を通り、大江山を越えて、鬼そばを食べて、3時間もすれば、神戸に着きました。 久美浜訪問記(11)

久美浜湾 海岸線

久美浜から神戸まで、帰りの復路は、往路と道を変えて帰ります。

しばらく、久美浜湾沿いを走ります。

この場所が、久美浜湾に日本海の海水が出入りする、隘路です。

ほんのわずかの細い水路に、満ち潮と引き潮の潮が、流れます。

車なら、久美浜湾を一周するのは、そんなに時間がかかりません。

どこから見ても久美浜の海が見えて、

別荘やマリンレジャーの基地には、最適です。

神戸から近ければ、稲葉家から土地を分けてもらい、ここに別荘を建てたい

ところですが、実際に別荘を建ててみれば、

そんなに別荘は、利用する機会がありません。

一軒家であれば、行くたびに庭の手入れ、

家の掃除、着る物の洗濯、近くに

食事処が無ければ、炊事と片付けが待っています。

そんな、負担のかかる別荘暮らしは、夢にだけ見ていればいいのです。

理想的なのは、実家があって、

お父さんお母さんが家を護ってくれていて、

そこに子供達を連れて、お盆や正月の連休に、

お世話になりますと、泊めて貰うことです。

しかし、いつまでもお父さんやお母さんが生きている訳ではなく、

年をとればむしろ介護の問題が出てきます。

介護は、近くに住んで貰っている方が良いので、

遠隔地ではむしろ不便です。

福知山に入る手前の頃、この地方の物産を売っている店がありました。

ちょっと覗いてみます。

サザエが1個100円です。

スイカは1個1000円です。

スイカがよさそうなので、買うことにしました。

ここの店のオーナーは、商売上手でした。

スイカを選んで持って行くと、美味しいスイカの選び方を、アドバイスして

くれ、土産物全部の精算の時には、「こんなに買っていただいてありがとう

ございます」と、お礼を言ってもらいました。

舞鶴に入りました。ここまで来れば、天橋立はすぐ近くです。

せっかく来たのだから、

ちょっと寄っていきたいと思ったりすれば、

帰る時間が遅くなります。

途中の山越えの辺りのサービスエリアで、おそばを食べることにしました。

その名も「鬼そば」です。

大江山の酒呑童子の名前にちなんだ、鬼そばです。

食べてみれば、ただのおそばでした。

どこのサービスエリアでも、

その土地の固有名詞にちなんだネーミング付けをしています。

これがうまくいけば、ブランドになります。

しかし、単純に名前を付けるだけでは、なかなかブランドに育ちません。

他の類似品に比べて、強い優位性が無ければ、

ブランドとしては認めてもらえません。

おそばを食べたら、舞鶴道を通って、一気に神戸に戻ります。

久美浜~神戸は、およそ3時間です。

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3年8月8日(木)