何話そうか・・・な、ボシュロムさんとは、41年の歴史なので、何話そうかな?

何話そうか、もみじ饅頭のお礼に、何話そうか。もみじ饅頭の歴史を話そうか。ボシュロムの辻亮一さんより生もみじを頂きました。

何話そうか。何しろボシュロムの社長さんは、これまで何人も代わっても、さんプラザコンタクトレンズは、41年同じ社長が続けています。

ボシュロムの担当者が、嶋岡邦寿さんから、辻亮一さんに代わりました。担当が代わって初めての集金に来られました。辻亮一さんは、担当が代わるとすぐに、さんプラザコンタクトレンズに溶け込もうとしています。

広島に行ったとき、広島名物もみじ饅頭のニューバージョン、『生もみじ』をお土産に買って、わざわざさんプラザコンタクトレンズに届けに来て下さいました。

広島と言えばもみじ饅頭ですが、これはいつ頃から始まった事でしょうか?

調べてみると、もみじ饅頭の始まりは、宮島の菓子職人、高津常助さんが1906年に考案し、商標登録をしていましたが、商標登録の有効期限は20年で、その後は登録更新をしていませんでした。

そこで現在では、もみじ饅頭の名称は自由に使われるようになりました。惜しかったですね。登録更新していたら、名前は独り占めですが、でも皆さんがもみじ饅頭の名称を使ってくれるかどうかは別です。

もみじ饅頭がブレイクしたのは、1980年代初期の漫才ブームの中で、お笑いコンビ「B&B」の島田洋七(広島県出身)が「モミジマンジュウ!」と叫ぶギャグが流行してからだそうです。松葉博雄も、当時テレビを見ていて、もみじ饅頭のギャグが何度も叫ばれているのを聞きました。

辻亮一さんが、我が社に溶け込もうとしている姿勢が伝わってくるのは、単にもみじ饅頭をお土産にくれただけではありません。もみじ饅頭に添えて、メッセージが入っていました。

メッセージには、前居住地だった広島へ友人の結婚式の為に行った際に、新しく担当するさんプラザコンタクトレンズの皆さんに、もみじ饅頭を買って帰ろうと思い立ったと書かれていました。

この生もみじ饅頭で、すっかり女子社員の好感度を上げました。担当になって、短期間に名前を覚えてもらう事に成功しました。今では、女子社員の間では、辻亮一さんはいい人だと言われています。

松葉博雄はあいにく、お饅頭は食べません。お饅頭の代わりに、これからのボシュロム社と我が社との、ビジネスの関係をどのように築いていくかをお話ししました。

何話そうかと考えながら、話している内に思い出すのは、事の始まりです。ボシュロムさんとの取引は、会社を創設した1971年からの事で、もう41年になります。

こんなに長くボシュロム社の事を知っている社長さんが相手では、多分、ボシュロムの日本の歴史ならむしろ、教わる方になると思います。

2012年12月25日(火)