『目にコンタクト』が転じて、『メニコン』のダジャレのように、メニコンの看板に蛙が飛び上がり、『メニコンに蛙』が、転じて『メニコンに替える』になりました。

ダジャレの好きなメニコン 目にコンタクトがメニコンだったり、メニコンの看板に蛙が飛び上がり、『メニコンに蛙』が、転じて『メニコンに替える』になったりしています。メニコン株主総会(2)

メニコンの展示室では、古いCMを見ました。目にコンタクトとか、メニコンの看板に蛙が飛び上がり、『メニコンに蛙』が、転じて『メニコンに替える』などの40年前のフィルムです。

メニコンの第55期 株主総会が終わると、5階の多目的ホールと、1階の展示場のお披露目の案内がありました。顔なじみの城戸洋子さんの案内で、5階の多目的ホールから見せてもらいます。

一般公開に先駆けて、株主総会に出席した株主で、希望する人が、株主総会の後、しばらく時間をかけて、新しく改装された5階の多目的ホールと、1階の展示室を見て回ります。

先ほどの、株主総会の会場の背後に、最新機器を使った調整室があります。ここから、コンサートの場合には、音響の調整をします。収録した画像は、インターネットを通じて、配信も出来ます。

多目的ホールの利用方法は、会議だけでなく、音楽会、演劇会、討論会、式典などに利用出来ます。

2012年6月29日(金)に、音楽会を兼ねて一般公開されます。

出演者の為の化粧室、いわゆる楽屋も用意されています。TV写りが良くなるように、化粧もこちらで出来るように用意されています。

メニコンの田中英成社長は、これまでスポーツ活動の中で、15歳以下のサッカー選手を応援する『メニコンカップ』と並んで、メニコンの社会的貢献の中に、文化事業を位置づけています。

これからは、この多目的ホールを使って、音楽会、演劇会、などの文化的事業を活発に行うようです。

多目的ホールに設置されるピアノはSTEINWAY & SONSのピアノで、仲道郁代さんの選定証が表示されています。

2011年製のまっさらのピアノです。ピアノにはカバーが掛けられていて、これから初めてこのピアノを使って演奏する人の登場を待っています。

メニコン本社北館5階から、エレベーターで1階に降りると、これまで応接室だったスペースが、メニコンの歴史を伝える、展示室に模様替えされています。

その名も、GALLERY Menio です。

足を止めたのは、メニコンがこれまで、TVやマスコミを使って、宣伝広告活動をしていた、懐かしい映像です。メニコンの最初の名前は、東洋コンタクトレンズでした。それを、『目にコンタクト』を短略化して、『メニコン』にしました。

ブランドスイッチを訴えていた時代は、1970年代です。このころ盛んにTV広告で、『メニコンにかえる』を文字って、カエルがメニコンを指さしている画像が流れていました。まるで、鳥羽僧正の鳥獣戯画のようです。

メニコンはキャラクターの起用について、先見性がありました。まだ、超有名スターになる前のタレントを使って、メニコン製品の宣伝をしていました。

浅野温子さんが、ビニール袋にコバルトスズメを入れて、目に押しつけている画像は新鮮でした。

メニコンのDNAは、芸術性のあるものづくりに伝承されているそうです。メニコンものづくりの精神の起源は、初代会長の田中華山さんです。

創業者会長 田中恭一さんの父、田中華山さんは竹で様々なものをつくり、彫刻を施す竹彫工芸家でした。

田中恭一会長には、長年の秘書さんが、細かい事にまで気配り出来ています。2000年から社業を田中英成社長に譲った後は、ビジネスマンの顔から芸術家の柔らかい顔に変わったように思えます。

それにしても、とても細かい、手先の繊細な動きによって創られる作品に驚きます。

これまで、あまり目に触れることがなかった彫刻品や絵画は、展示室が出来た事で、メニコン本社を訪れる、多くの人が鑑賞することが出来ることになりました。

松葉博雄も、メニコン社との取引が40年以上も長きにわたる事から、田中恭一会長から作品のいくつかを頂いています。

1階の展示室も、正式なお披露目は6月29日ですが、これも、株主総会に出席した株主の希望者の方に、今日初めて先行してお披露目しているそうです。

これまで、北館のメニコン本社応接室を何度か訪れているので、改装後の展示室の広さと、綺麗さに驚きました。

2012年6月27日(水)