研究と修行です

研究と修行です。研究は、研ぎ究めることです。修行は、真理を悟ることです。

研究と修行です。研究は、研ぎ究めることです。修行は、真理を悟ることです。大阪市立大学大学院で研究を深めて、悟りへの修行をしているつもりですが・・・。

大阪市立大学大学院に行く途中、梅田地下街で人だかりができています。遠巻きに沢山の人が人垣をつくっています。その中心から、マイクを通して元気な声が聞こえてきます。

なんだろう?と、人垣をかきわけて、前の方に出て行くと、なんと、街頭演説です。普段なら、許されない、梅田地下街の雑踏のなかで街頭演説をしているのは、大阪府知事選挙に立候補している、マック赤坂候補です。

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これは、公職選挙法に基づいた街頭演説であることを、運動員が表示しています。遠巻きにしている人達は、ケータイ電話で写真を撮っています。マラソンランナーのような薄着姿で、大声で持論を述べています。大学院に行く途中なので、長い時間は聞いていられません。

この選挙活動を目の前で観て、今回の大阪市長選挙と大阪府知事選挙が、TVや新聞でみるだけでなく、現実に選挙戦が行われていることを実感しました。

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図書室でPRESIDENTを読んでいると、経営雑誌にしては、視点が珍しい「『ブッダ、聖書』のことば」というテーマで記事が書かれています。研究と、修行が結びつきそうな記事です。

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今日のゼミは、明石芳彦先生が出張中なので、明石芳彦先生の不在のままゼミが進みました。今日の発表は二人です。

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いつものように、報告者が研究テーマに沿った研究発表をし、それを聞いたあと、質問が始まります。松葉博雄の頭の中に、先ほどのPRESIDENTで読んだ「ブッダのことば」が頭に残っています。なぜか、研究と修行が繋がってると思うからです。

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ブッダが入滅の時、ブッダ最後の言葉に、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく、修行を完成なさい』と、言われました。

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松葉博雄の修行は、博士の学位をとるためだけの修行ではなく、ブッダの言われたように、『この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。』と、言われた法、すなわち真理を拠り所として、悟りに近づく事を修行の方向としています。

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修行の為には、博士の学位を得ることをひとつの修行とすれば、学位を得るための研究に執着していれば、ブッダの戒める執着になってしまいます。研究は修行へのひとつの課程のようです。

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しかしブッダは、修行の為の執着は、向こうの岸に渡る船のようなもので、向こう岸に渡れば(悟りが得られれば)、渡ってきた船に執着することがなくなると、諭しています。

学位を得ることは大変な修行で、修行中は多くの世俗のことに禁欲しなければなりません。そして、他の人の研究を聞き、さらに自らの修行を高めなければなりません。

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ブッダは、『博学で真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろとためになることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。』と、諭しています。

参考文献:「ブッダのことばースッパニバーター」中村元訳 岩波書店

「ブッダ最後の旅ー大パリニッパーナ経ー」中村元訳 岩波書店

2011年11月21日(月)