生野銀山の資源には、鉱山が閉山されても観光資源、経営資源、人的資源、などがあります。

生野銀山の資源には、生野銀山を支えた観光資源、経営資源、人的資源、などがあります。 丹波市・朝来市へドライブ(6)

生野銀山の資源には、今では観光資源、経営資源、人的資源、などがあります。

家にいられなくて、道路工事がうるさくて、家にいられなくて、丹波市の青垣に行って、道の駅あおがきで買い物をし、大名草庵で十割そばを頂いて、その後、黒川温泉に寄って、折り返して帰るつもりが予想もしない生野銀山に来てしまいました。

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生野銀山の名前は知っていましたが、訪れる機会もなく、これも何かの縁と思い、かつては天然資源を含んでいた史跡生野銀山に寄ってみます。

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入場料は100円です。 えらい安いなあと思って入ってみると、100円は100円のものしか見せてくれません。 勝手に想像してたのは、観光資源の生野銀山の廃鉱にまで入れるのではないかと思っていました。

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銀山の廃鉱は、観光資源なので見るのは別料金でした。 経営資源の鉱物館とは違う、同じ敷地の中に別の入場口があります。

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100円の展示館は、天然資源の鉱物のサンプルを並べているだけです。 しかし、日本中の名だたる鉱山のサンプルがあります。

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戦国時代や江戸時代には、日本は世界でも有数の天然資源の豊かな国で、金・銀・銅の生産地でした。 海外貿易をオランダだけに限定して、長崎の出島で世界に輸出していた時は、オランダの金・銀・銅の儲けはオランダの国を支えるほどの収益が上がっていった時があります。

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標本はガラス越しなので、手に触って鉱物の原石の重みを体感することはできません。 きっと、ただの石ころより比重が重く、手に持つとずっしりとした資源の重さを感じることだと思います。

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入り口を上から見た所です。 回転式の入り口は、100円を入れると一人分だけのスペースで回転します。

今では観光資源の生野銀山には1200年のあゆみがあると言われています。

生野銀山はかつて『佐渡の金・生野の銀』といわれ、山名氏、織田氏、豊臣氏など、ときの権力者に手厚く管理されてたと古い記録に記されています。

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昔、江戸時代には、佐渡の金山は、江戸の罪人を藤丸駕籠に乗せて佐渡に送っていました。 佐渡に送られた罪人は、佐渡の金山を掘るときに出てくる湧き水を掻い出す水替え人足の仕事に使われ、一生を過ごしていました。

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なんとか、佐渡から逃げて生きたいと思っても、佐渡を横たわる日本海の荒波を逃げ切ることは出来ません。 これは、松本清張の『佐渡流人行』で読んだ話です。

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代官所の正門のような構えが、入場料900円の観光資源である、生野銀山廃鉱の入り口です。 この先は別料金になっています。

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屋根の向こうに、世界でも有数の良質な天然資源の鉱脈を持つ、生野銀山が埋まっています。

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史跡生野銀山の生野鉱物館入り口には、なんと、菊の御紋が門柱に彫られています。 生野銀山は、江戸時代は、幕府の資源を守る直接支配する直轄地で、いわゆる天領でした。

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それが明治になって、明治政府の資源として皇室の所有となった事から、門柱に菊の御紋が入りました。 この時から生野は、全国でも珍しい鉱山町を形成していました。 鉱山は皇室財産を経て、明治29年に三菱合資会社に経営が移り、発展を遂げています。

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昭和20~30年代の最盛期には、町の人工は1万人を超え、町内に建てられた社宅には大勢の家族が暮らしていました。 そして、昭和48年に生野銀山は閉山しました。 その後は、観光資源として活かされています。

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今回、お土産として、金の鉱脈か銀の鉱脈の小さな鉱石を買えたらと思ってましたが、期待はずれでした。

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入り口には三菱金属が使ってた、銀山に入っていく、トロッコが展示されています。

現在、坑道の一部は観光資源として、史跡・生野銀山の観光坑道となりますが、経営資源の工場は残り、今はリサイクルなどの工場として稼働しています。

また、生野に残る産業遺産にも注目が集まり、保存活動を通して、未来のまちづくりを進める活動に取り組んでいるそうです。

2011年9月22日(木)



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