海上ヘリ基地建設反対運動に揺らぐ名護市辺野古地区 第72回沖縄訪問(6)

海ブドウの栽培ハウスを見た後は、雨の中を名護市の辺野古岬に行くことにしました。

ここは今、アメリカ軍が辺野古沖の代わりに、新しい基地をキャンプシュワブ(Camp Schwab)に作ろうとしているところです。

名護市の辺野古地区に座り込みをして長期的な反対運動をしている地元の人達がいることを知り、沖縄のジュゴンの育つ美しい海を守ろうという気持ちに賛成し、応援のために反対運動の励ましに行きました。

着いたは11時過ぎたころです。あいにくの強い雨で、辺野古地区の漁港には人影はなく、座り込みをしているテントにも人影は見えません。これから行ってみます。もし天気がよくて、大晦日でなければ、もっと沢山の人がテントの中に集まっているはずです。誰もいないのでテントの中に入り、奥の方へ入っていくと、一人だけ男性の方が留守を守っていました。

「いらっしゃい」と声をかけてくれました。このテントには必ず1人誰かが残っているようです。今日留守番をしていた方に、神戸から来たことと、何か支援をしたいという気持ちを話しましたら、喜んで下さいました。「どうぞ、この辺野古地区で起きていることや、海上ヘリ基地建設反対の住民の行動を、どんどん神戸から発信してください」と、励まされました海上基地建設の阻止の開始から、今日で2639日、8年かけているそうです。座り込みが始まって622日です。

パネル写真を見ながら、状況の説明をしてくれたのは、辺野古地区の岬、ここのすぐ左、写真に向かって左側にジュゴンの藻場があるそうです。このジュゴンが入っていくところに深みがあって、そこから入って、ジュゴンは藻を食べるそうです。それが今回の海上基地ですっかり駄目になるということです。

現在では一日100人くらいの支援者が全国から駆けつけ、バスで寄ってくださることもあるそうです。もちろん、地元の住民の方も交代で座り込みを続けていらっしゃいます。 監視を続けていなければ、基地建設推進側の人達が突然工事に関わる行動に移ることもあるそうなので、一日たりとも油断無く、24時間続けて監視体制を続けているそうです。

神戸にいてはわからなかった反対運動のご苦労が辺野古地区に来て、ひしひしと伝わってきました。あのジュゴンが生息できる地域は世界でも、もうわずかな地域しか残っていません。それが沖縄の名護市辺野古地区の沿岸部に、ジュゴンの藻場があるのですから、それだけここの自然環境が素晴らしいことを示しています。この自然環境を壊すことは、結局は地元住民にも、沖縄県民にも、日本国民にも、世界人類全体にも、なんらかの悪循環が起きる恐れがあります。

案内して下さった方が色々な反対運動に関わるお話を聞かせてくださいました。

 


 

自然環境保護だけではなく、地元住民の生活環境が変わり、基地からは毎日ヘリが飛び立ち、日夜爆音をまき散らし、住宅地を飛び交うことになります。

宜野湾市普天間基地の米軍ヘリが、沖縄国際大学構内に墜落・炎上した例もありました。住民の皆さんが不安がるのも当然のことです。松葉博雄の支援といっても何も出来ませんが、この反対運動をやってらっしゃる総まとめの本を出版しているということで、この本を2000円で買って寄付に代えさせていただきました。

本の名前は、「辺野古アクション」といい、写真と文章でわかりやすくこれまでの行動の要約を紹介しています。
反対運動のためには、この「辺野古アクション」を紹介してもいいですよと、了解をいただきましたので、一部を読者の皆さんに紹介いたします。

2005年12月31日の大晦日の日、辺野古岬には雨のせいか人影もなく、車から降りて浜辺を歩き、アメリカ軍が計画している辺野古岬沖が見える高台から付近の様子を見回せば、本当に美しい沖縄の自然が見えました。これは、次世代にも、そのまた将来にも残すべき自然だと思います。この後は、この近くの村を通って恩納村に帰ります。

2005年12月31日

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