淳仁天皇陵は、淡路島でただひとつの天皇陵です。

淳仁天皇の陵印は、大阪府羽曳野市の古市陵墓監区事務所にあります。桜と淳仁天皇陵を訪ねて(5)

淡路島に、ただひとつ天皇陵があります。淡路島の天皇陵は、淳仁天皇陵です。賀集八幡の桜を見た後は、すぐ近くにある、淳仁天皇陵へやってきました。淳仁天皇は、第47代天皇です。

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淳仁天皇は、大化の改新の頃の、天智天皇(38代)、天武天皇(40代)から、孫の代にあたります。天武天皇の皇子 舎人親王の七男として生まれました。

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大海人皇子、天智天皇、額田王(ぬかたのおおきみ)と言えば、あの恋の歌、「あかねさす紫野行き 標野行き 野守は見ずや君が袖振る」を思い出します。

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淳仁天皇陵だけで、思い起こすことは難しいのですが、キーワードに藤原仲麻呂(恵美押勝)や弓削道鏡が出てくれば、政治的背景がなんとなく分かってきます。

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淳仁天皇は、 恵美押勝の乱で孝謙上皇に対する謀反を理由に天皇の座を降ろされ、淡路に幽閉されました。幽閉された淳仁天皇は、1年後逃亡を計ったものの捕らえられ、その翌日に33歳で亡くなりました。さぞ無念だったことだと思います。

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永らく、淳仁天皇は淡路の廃帝と呼ばれ、無念残念の期間が長くありましたが、その後、明治天皇により淳仁天皇と追号されました。

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淳仁天皇陵の外周を、春のうららかなぽかぽか陽気の中で、歩いてみました。

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堺市にある仁徳天皇陵のような、前方後円墳を予想していましたが、8世紀の中旬には、もう前方後円墳は、流行らなくなったのでしょうか?鍵型の前方後円墳の形をしていません。

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堀は、空堀になり、外周の土手から容易に淳仁天皇陵に登ることができます。しかし、宮内庁は、ちゃんと柵をして侵入を防いでいます。

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空堀に沿って堤を歩いて進むと、その先が溜池のような農業用のような池があり、そこからは淳仁天皇陵に沿って、空堀の堤を歩くようにはできません。

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淳仁天皇陵と溜池は、接する面も直線的に池の堤が作られています。元々の淳仁天皇が、池のために切り取られているようにも見えます。

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淳仁天皇陵の周りは、淡路の特産であるタマネギ畑が広がっています。

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池に行く手を阻まれて、もう一度淳仁天皇陵の神宮に戻り、小さな番小屋のような壁に何か貼ってあるものを見つけました。読んでみると、『陵印は、左記の古市陵墓監区事務所で保管しております 記 宮内庁書陵部 古市陵墓監区事務所 大阪府羽曳野市誉田6-11-3』と表記されています。

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陵印とはなんでしょう?

お寺の朱印みたいなもののようです。宮内庁は、5つの陵墓管区事務所(畝傍・古市・桃山・月輪・多摩)によって管理していて、淳仁天皇の陵印は宮内庁天皇陵ホームページで閲覧できます。

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淳仁天皇陵の空堀に続く堤を歩いていると、淳仁天皇陵側からは、野鳥の声が絶え間なく聞こえてきます。野鳥にとってみると、人が入ってこない、安全な森のようです。

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宮内庁が守る淳仁天皇陵は、正面に鳥居が建ち、周囲の生け垣はスッキリと剪定され、天皇陵として清楚ながらも荘厳な雰囲気を醸し出しています。

2011年3月31日(木)