我部祖河食堂のお店の始まり 我部祖河食堂は金城源治さんと奥さんの二人で44年前に始めました。

我部祖河食堂のお店の始まり 我部祖河食堂は金城源治さんと奥さんの二人で44年前に始めました。夫婦二人でお店の始まりです。我部祖河食堂の名前の由来は、名護市古我知の我部祖河でスタートしたからです。第126回沖縄訪問(11)

お店の始まり、我部祖河食堂のお店の始まりは、44年前がお店の始まりです。

沖縄に来ると、スローライフと言っても、

お天気によって、予定は変わってきます。

晴れると外に出られるし、雨が降ると、家の中で過ごすことになります。 

幸い、今日は、晴れました。穏やかなお天気です。

沖縄恩納村

片山正喜さんとヤンバルに向かい、昨日雨でできなかった、牡蠣を取りにいきます。

広島や坂越の養殖の牡蠣を連想したら、まるっきり違います。

自然、岩に一体化したような、岩牡蠣は、これが牡蠣かと、見ばがうばかりの、

岩のような牡蠣です。

沖縄恩納村

国道58号線を、前兼久から、名護に向かって走ります。 

午前の11時ごろにスタートしているので、

早くも昼食の心配になってきました。

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途中、名護でお昼です。 

元祖ソーキそばの店「我部祖河食堂」で、お昼をいただきました。 

お店の始まりが紹介されています。 

店内に、お店の始まりが写真で掲示されています。

我部祖河食堂の創業者(会長) 金城源治さんは、ホームページで、

この我部祖河食堂を奥さんの文子さんと二人で、

お店の始まりを44年前に脱サラして始めたと、書いてあります。

沖縄恩納村

お店の始まりは、田んぼを埋め立てて作ったそば屋をみて、

周りの人たちは無謀だと言ったそうです。 

しかし、奥さんと二人三脚でがんばって、

今では、沖縄県内に10店舗のお店を構え、子ども、孫たちの協力も得て、

お店の始まりから、44年続いているというお話でした。

沖縄恩納村

お店の始まりと、名前の由来は、名護市古我知の我部祖河からです。

店内は、割と賑わっています。

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松葉博雄は、そば屋さんに来ているのに、そばを注文しないで、

野菜が沢山入っている野菜炒め定食(680円)を注文しました。 

片山正喜さんが頼んだ、焼きそば(530円)も具材がたっぷりでした。

沖縄恩納村

食欲は、その時の健康状態を反映します。 

今日は、食い気があります。 元気な証拠です。 

それは、定食があるのに、更に、いなり寿司を追加注文していることにも、現れています。

沖縄恩納村

とても量が多い野菜炒めに味噌汁もついていて、

いなり寿司も頼んだので、お腹いっぱいです。

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我部祖河食堂で、お店の始まりを学んだ後は、ヤンバルへ向かいます。 

もちろん、片山正喜さんの愛犬リーも一緒です。

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まっすぐ行くと辺戸岬に通じる国道58号線、左へいくと古宇利島、屋我地島です。

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今日の、岩牡蠣獲りは、屋我地島の方へ行きます。

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目指すは屋我地島です。 我地大橋を渡ります。

分岐して、県道110号線を走ります。

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昨日、松田光正さんと一緒に来た道です。 

岩牡蠣を獲るためには、潮が引いた干潟にある岩場に向かいます。 

潮が満ちている時には、海です。

屋我地小学校の体育館を見て、この辺に車を停めることにします。 

小学校と中学校の裏手の方に、車を停めます。

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駐車した狭い広場には、戦没者慰霊塔がありました。 

ここからは歩いて、運天港海岸保全地区にいきます。

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松葉博雄は、その土地を訪れた時には、土地の神様や、祠があればご挨拶をし、

戦没者慰霊塔があれば、手を合わせて、慰霊の言葉を話します。 

これがその土地に入る挨拶の始まりです。

2011年1月22日(土)

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