復興が一段落すると、メニコンの菱田孝二さん、安永幹夫さん、ニチコンの宮脇理さん、大和幸樹さん、ボシュロムの嶋岡邦寿さん、チバの塩谷さん、槇隆司さん、J&Jの岸さんへの感謝の気持ちを表しました。:阪神淡路大震災後79日目~84日目

 震災復興に集中して、娘と息子の進学相談には、十分に話を出来ていませんでした。

阪神大震災後初めてのお花見です。社員の皆さんと、メニコンの安永幹夫さんの協力で、芦屋川に夜桜を見に行きました。

今日はメーカーさんに対して感謝の気持ちで感謝祭をしました。

中国縦貫道路の西宮北口インターチェンジの近くに車で集合しました。ここを選んだのは、三宮ではたいしたおもてなしができませんが、郊外に出ると以前のように変わらない状態でネオンは光り、お店は開いているからです。

お肉で有名な三田屋さんに集まりました。メンバーは、メニコンの菱田孝二さん、安永幹夫さん、ニチコンの宮脇理さん、大和幸樹さん、ボシュロムの嶋岡邦寿さん、チバの塩谷さん、アルファコーポレーションの槇隆司さん、J&Jの岸さん、それから山崎君、息子をいれて11名となりました。

食事だけではありません。この後、車で翌日のゴルフコンペのために岡山県の湯郷温泉の方へ向かって行きました。仕事のあとのスタートなので、少し夜が遅くなっています。皆さん、飲酒運転にならないように、三田屋さんではビールはお預けでした。

湯郷に着くと、各部屋に一旦入り、旅装をといて浴衣姿になり、全員が一室に集まって預けていたビールの乾杯をしました。これまで震災復興のために大変協力をいただきました。

寒い中を、遠く芦屋や西宮から線路を伝わって歩いて三宮に何度も来てくれています。物資が足りない中に、車を使うこともできないで重いものを手に持って届けてくれていました。もちろん店舗の移転と再開のために大変なご協力をいただいています。

それらを全部含めて言葉に言い表せないほどの感謝の気持ちを皆さんに伝えたかったのです。大変おいしいビールをいただけるようになったことを、とてもありがたく思いました。ここまでなんとか復興が進んできたのも、メーカー各社の皆さんからの支援のお陰です。

(飲み会写真)

今日のニュースでは、神戸市が市内の震災死亡者の埋火葬費用の公費負担を決定したことが伝えられました。

阪神淡路大震災79日目:1995年4月5日(水)


 

今日はゴルフコンペです。

メーカーさんにはたくさんご協力いただいたので、これから復興する為の復興震災特別ゴルフコンペということになりました。

優勝はニチコンの宮脇さん、二位はメニコンの菱田さん、三位はチバの塩谷さんです。もちろんハンディがあったからです。

天気の晴れた中で久しぶりにゴルフをすることができました。

阪神淡路大震災80日目:1995年4月6日(木)


従業員の小山君の事情が少しわかりました。北陸の実家の家庭に複雑な事情が発生し、さらに金銭的な問題までがのしかかり、とうとうお母さんが心労で入院することになったようです。

このため小山君は、家を守ることとお母さんの看病の両方の理由で、残念ながら我が社を退職せざるを得ないようになりました。

阪神淡路大震災81日目:1995年4月7日(金)


 

今日は従業員の皆さんと芦屋川に夜桜を見物に行きました。

メニコンの安永幹夫さん、小山君、籾谷さん、溝畑さん、礒畑さん、山崎君、若林さん、太田さんなど10名で行きました。

今夜の段取りは、メニコンの安永幹夫さんが大変よく活躍してくれました。とてもよく気が付く人で、細かい配慮ができていました。

場所は、阪急芦屋川の駅を出ると、南の海側の方に少し歩き、そのあたりになると河川敷に下りる階段があります。

そこから下りて、少しスロープになった河川敷に、テントシートを敷き、皆さん靴を脱いで車座になり、各自にお弁当の折り詰めと、ビール、お茶などを渡しました。

社長の松葉博雄は、これまでの復興に関して皆さんがよく頑張ってくれていることに対し、お礼の言葉を伝え、そのあと、小山君の音頭で乾杯をし、桜を見ながらお弁当をいただきました。

震災から数えて82日目にして、このような日常的な生活に少しずつ戻れていることを実感し、しばし桜の美しさと、生活の安定にビールを酔うほどにいただきました。


今日のニュースでは、新幹線が「新大阪―姫路」間の運転を81日ぶりに再開したということです。

阪神淡路大震災82日目:1995年4月8日(土)


 

長男はこの4月から高校生になります。中学から続く、中高一貫教育の学校なので、生活の基盤となる住居や環境はそのまま延長になります。


東京都知事選挙では青島幸男、大阪府知事選挙では横山ノックが当選しました。

阪神淡路大震災83日目:1995年4月9日(日)


 

長男の高校入学式です。無事、中学の3年間は寮で過ごすことができました。

この3年間は親元から離れ、他人の釜の飯を食べることで、随分と精神的な成長があったことと思います。今回の震災の時も、ちょうど進学時期と春休みにかさなりました。震災復興のためにあまりかまってやれなかったのですが、自分なりに自分のことを対処でき、成長したと思います。

春休みには、神戸に戻り私と一緒に行動をともにし、貴重な体験を背中から見て、次に大人になったときにはこのような非常時にどのようなことをするべきかを、実践で示すことができました。


次女は発熱し、入院です。そのために私も車で岡山の病院に駆けつけました。


為替市場ではドル安です。一時80円まで円が上がりドルが下がりました。

我が社はドルと関係したビジネスになっていませんが、貿易に関係したお仕事や、特に輸出に関係したお仕事の方は、大変だと思います。

一方、輸入品であるコンタクトレンズの仕入れ価格は全く変わっていません。この差益は誰のものになっているのでしょうか。

震災84日目:1995年4月10日(月)



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です