サンプラザの区分所有者会議が、センタープラザ西館でありました。再建案は、長期的な建て直し案より、短期的な修復案となりました。:阪神淡路大震災後73日目~78日目

JR六甲道駅の修復が終わり、JRが開通しました。

やっとJRが開通しました。

さんプラザの区分所有者会議が今日の1時からセンタープラザ西館でありました。

さんプラザの復興について、長期的には全て壊して建て直しをするのか、短期的には応急処置を行いできるだけ早くオープンするのか、どちらにするのかの選択が問われています。それぞれの意見が別れ、そこで所有者による選挙になりました。どちらをとるかによって今後の店舗運営が大きく変わってきます。

全館建て直しの場合は、超高層ビルが出来、神戸を代表するような新しいショッピングセンターが誕生します。これはインテリジェントビルでもあり、老朽化対策が一気に解決します。欠点は、工事期間が数年かかり、その間各店舗はどこかで自活してこの期間を過ごさなければなりません。収入は大きく変わり、中には代替店舗が見つからない方もいます。

応急処置による短期的な修理の場合は、一年以内に店舗は再開できるようです。老朽化対策は解決されないまま、とりあえず震災からの復興が優先されます。

投票の結果は、85%の賛成で、応急処置を行い、部分修理を行い使える部分を補修して、できるだけ早くオープンするということが了解されました。全館建て替えが将来的によいことはわかっているのですが、それまで各店舗が体力的に耐えられるかどうか、新しいビルを建てるための資金の調達が可能であるか、それぞれが自分で判断して投票を行いました。

この結果、さんプラザビルは5階までを残して、上層階を解体します。そして10月から新装して再開するということになりました。

上の階には大倉産業の建物がありましたが、大倉産業は破産宣告を受けているので、大倉産業としては反対をしています。

これで今後の復興計画がほぼ決まりました。部分改装に向けて全員で頑張ることになりました。

阪神淡路大震災73日目:1995年3月30日(木)


 

経営ミーティングを行いました。従業員のトップ2人から現在の従業員の気持ちを代表して意見を聞くことにしました。

かなり困難な状況で勤務に就いているので、気持ちの中では何かと不満もたまっているようです。できることと無理なこととがありますが、意見の交換によりできるだけ不満をたまらないようにしたいものです。

震災からこれまでの間、色々なことがありましたが、やはり皆さん気持ちがめいっていることやら、被害が大きくて前向きな対応ができていない面もありました。これらについて意見の交換をしました。

震災は神戸市民に与えられた試練でもあり、これを不満に思ってみても、天災なのでどうしようもないこともあります。気持ちの不満を震災のせいにしてみてもどうしようもないこともあります。

仕事がうまくいかないことや、通勤がしんどいこと、不規則な生活環境など、誰かにぶつけたくなるような気持ちがありますが、これを仕事に対して不満として現れている面もあるので、社長としてはお客様へのサービスが第一なので、不満を顔に表すようなことは厳に慎むべきと、反省すべき点は反省してもらいました。


ニュースでは、今回の震災により、会社の倒産や顧客の減少、店舗の破壊、人的な罹災などにより、震災失業者が1万3000人を超すとのことです。


報道では、震災の初期活動は少しずつ撤退が始まっています。これまで医療をサポートしてくれていた陸上自衛隊による救護所等による診療が終了したようです。

ボランティアや支援が少しずつ撤退していけば、これからは私たち市民が自力で再建に取り組んでいく段階に移っていきます。

阪神淡路大震災74日目:1995年3月31日(金)


 

センタープラザの東館は、さんプラザより10年も後から建築されたこともあり、耐震設計になっていて、高層ビルでもありH型鋼を使ったラーメン構造なので、倒壊を免れ比較的損傷も軽かったので、安全確認の点検が終了し、今日からオープンです。

 


JRは止まっていた「住吉-灘」間の運転が再開されました。

復興の中で難関はJR六甲道の再建工事でした。後日NHKの「プロジェクトX」で紹介されました。

 

潰れた駅舎やプラットフォーム、架線をジャッキでビルごと持ち上げ、修理を行った様子がテレビで放映されました。

この時の難工事を引き受け、完成させた建設会社の社員の方が当時の苦労について、テレビでお話しがありました。

見ていてとても感動的な献身的な工事のようでした。よくあんな重い駅舎をジャッキで持ち上げたものだと感心しました。

これでJRは全線復旧です。そこで定期券を買うことにしました。


兵庫県の4月1日時点の県内推計人口が発表されました。震災前と比べて約6万人減少とのことです。なかでも震災の被害の最も顕著だった神戸市では、約3万4千人もの減少があったそうです。

怪我をしたり、家が倒壊したりといった震災による直接の被害に合っていなくても、電気やガスが通じない、電車が動かない、職場が再開していないといった様々な理由から、兵庫県から離れていっているようです。

阪神淡路大震災75日目:1995年4月1日(土)


 

報道では、罹災した神戸製鋼の神戸製鉄所で、高炉に再び火が入りました。製鉄所の高炉は一度火を入れると、あとは火が絶えることなくコークスを炊き続けます。

温度は2000℃ぐらいを保ち続け、鉄鉱石を入れては溶かし、溶けた粗鋼を取り出しては、鉄鋼に加工していきます。溶鉱炉から銑鉄が流れ出る様子は、まるで火山から溶岩が流れ出るような火花の散るような迫力で流れ出てきます。

この製鉄が短期間で復興できるのは、日本の高炉を守る技術の高さを示しています。高炉の中には耐熱のレンガが敷き詰められ、2000℃の熱い熱に耐えられるようにしています。

神戸は、神戸製鋼所と川崎製鉄所の日本でもビッグな二つの製鉄所が生まれた街です。

阪神淡路大震災76日目:1995年4月2日(日)


 

春の選抜高校野球が始まっています。とても高校野球を観戦するような状況ではないのですが、テレビの報道では、すでに今日は決勝戦となり、白熱したゲームになっていました。結果は、四国の観音寺高校が優勝です。


従業員の小山君は、お母さんが緊急入院したという連絡があって、急ぎ故郷の福井の方に看病に戻ると言って帰っていきました。

予期せぬ出来事で、震災復興の柱になってもらいたい人材でしたが、家庭の事情のために去っていくことになりました。理由を聞けば、とめることもできなくて残念に思います。

さて、重要な男子社員が突然去っていって、いったいこの先我が社はどのようになるのでしょうか。

阪神淡路大震災78日目:1995年4月4日(火)



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