メニコンの被害と、心を勇気付けるいかなご炊き :阪神淡路大震災後51日目~53日目

 メニコンの安永幹夫さんと復興について、連日相談をしています。メニコン以外の取引先へも、支援物資の依頼をしています。


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≫【イメージ画像】アサヒグラフ緊急増刊号より

今日はメニコンの担当の安永幹夫さんと夕食を一緒にしました。復興についてどのようにするかということを一緒になって相談し合いました。

メニコンの神戸営業所も大変な被害の状況になっています。メニコン社が入居している柏井ビルが前面の通路に向かって傾きかけてしまいました。

震災当日は持ちこたえて、踏ん張っていました。私も当日、柏井ビルの前を通り、記録を撮りました。

ところが、翌日には柏井ビルは前倒しとなり、向かいのビルまで破壊して倒れてしまいました。

メニコン社は1階部分に営業所を構えていたので、人的な被害はなかったのですが、中に入って重要なものを取り出すゆとりもないまま、ビルは崩壊してしまいました。

我が社と同じように、とっても大きな被害にあいました。しかし、メニコン社としては、神戸地区の取引先の支援を怠ることは許されないので、大阪支店に神戸営業所を一時的に移し、大阪から通う形で支援活動を始めています。

 

上の資料は、メニコン社からマスコミ各社に向けて、松葉眼科とさんプラザコンタクトレンズが仮診療所、仮店舗を立ち上げたことを、記事として報道してもらうように呼びかけたFAXの原稿です。

この震災復興マーケティングの記事を書き始め、資料を探している時に、十年ぶりにこのような原始記録が見つかり、あらためて、メニコン社の安永幹夫さんが我が社を支援してくれていることを思い出しました。

この紹介記事の効果は、その後、間接的にも、直接的にも効果がありました。遠くの友人、知人やお客様から、この記事を新聞、ラジオ、テレビで知ったことを話してくれたことがありました。

阪神淡路大震災51日目:1995年3月8日(水)


 

今日のお休みは、春を告げるいかなごを家で炊きました。

これは支援をしていただいた皆さん方に、お礼の気持ちに代えて、少しずつ落ち着いた状態にいることを感謝するために、いかなごのくぎ炊きを配る、そのために私が味付けをして、たくさん炊いてみました。

いかなごを炊くときは、決してかき混ぜてはいけません。一度煮始めると、箸を入れないで、鍋ごと振り切って、混ぜるようにします。

これが、意外と重くて、下手をするといかなごの形を崩してしまう結果となります。慎重に形を崩さないように、煮込みを続けていきます。そうするうちにだんだんと、砂糖としょう油としょうがの甘ったるい香りが台所一面に漂い、窓から漏れた匂いは、道行く人の鼻を刺激するようです。

ここかしこの家で、いかなごが炊かれると、神戸にも春が来たなと、思う頃です。


いかなごを炊いているだけではありません。自宅では携帯電話を使い、取引先各社に効果的な支援活動の打ち合わせをバンバンやりました。

現場担当者は被害の状況を知っていても、東京や大阪の責任者の方には十分に被害のイメージが届いていないことも歯痒く思いました。

外資系の会社には本社のある海外事業本部にお願いをして、支援物資の補給を日本支社からしていただくように打診してみました。

ケア用品のアルコン社からは、さっそく支援物資をサンプラザコンタクトレンズ宛てに直接送ってくれる事が決まりました。

外資系の会社は、大規模な天災事変による罹災に対しては、社会的な貢献ができるという判断から、平常とは違った支援を期待できると思ったからです。粘り強く各社に対して一つ一つの困っている市民の状況を伝えていきました。

阪神淡路大震災52日目:1995年3月9日(木)


 

ライバルのV社が新聞で一面で広告を出しました。65%~30%Offの大きな広告です。さてどのような影響が出るでしょうか。


眼科でも今日退職者が出ました。交通機関の問題です。

震災53日目:1995年3月10日(金)



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