震災復興に早く立ち上がっても、期待した支援がなかなか得られません。:阪神淡路大震災後35日目~39日目

 阪神大震災でコンタクトレンズと、ケア用品を失って、困っている方への支援をメニコン、ジョンソン・エンド・ジョンソ、チバビジョン、ボシュロム、依頼しています。


≫「崩壊したさんプラザビル【神戸新聞社刊『阪神大震災全記録』より】」


≫イメージ画像:阪神三宮駅(神戸新聞社刊「阪神大震災全記録」より

震災後やむをえず退職された方、避難された方に対する離職者の手続きを今日から始めました。離職者の方は、実家に帰って平穏な生活に戻っているので、失業保険の給付を急いでいます。

ところが、神戸の職業安定所も大変な被害状況で、実際のところ業務はしばらく機能停止していました。

遠くから待っている立場と、当事者が混乱の中でしないといけないという気持ちには、やや温度差ができてしまい、いかんともしがたい状況でした。

 


離職者の対応に次いで、顧客の罹災者に対するサポートの問題が山積みしています。毎日主要な取引先に対して、何か支援の物資を配りたいので送って欲しいことを言い続けています。

「イメージ画像:メニコン社の入居しているビルは文字通り倒壊してしまいました(神戸新聞社刊「阪神大震災全記録」より)」

メニコン社には、再度震災復興マーケティングに対する打ち合わせを電話で行いました。

今、欲しいのは情報を伝えるための広告です。

突然の震災が起きた中で、レンズを失った方やケア用品が欲しい方は、今どこに購入に行けばお店が開いているのか、これまで買っていたお店はどこに移転しているかの情報提供が必要なときでした。

神戸市の市民の皆さんの中で、コンタクトレンズに対して何か困っていることがあれば、その対応の窓口としてさんプラザコンタクトレンズが市役所の近くで復興しているので、そちらのほうがメーカーの窓口としてご相談に応じますから、そちらに行ってくださいという案内広告を出して欲しかったのです。

 


ジョンソン&ジョンソン、チバ、キヤノンにも同じような広告支援をお願いしました。各社ともなかなか慎重です。自社の顧客を救済することも、なんらかのケア用品を提供するような支援活動をしたいことは山々なのですが、自社ではできる、かと言ってさんプラザコンタクトレンズに頼るのは後日の批判を恐れているのです。

しかし、今この大震災の中で復興に立ち上がれた者がその代理をするべきだと思います。誰を選ぶかというよりも、復興のために努力をすると手を上げた者に、復興支援を託してくれたら一生懸命やるのに、と残念に思いました。

 阪神淡路大震災35日目:1995年2月20日(月)


 

「当日の毎日新聞より」

ボシュロムの城下専務、村松所長がお見舞いに来られました。混乱する市場のなかでボシュロム社の製品を求めている方もたくさんおられると思いますが、ボシュロム社の窓口となって震災の支援活動ができるチャネルは、現在のところ我が社しか三宮にはいません。

このことをボシュロム社にうったえて、ボシュロム社の愛用者の方々への支援の窓口となる意思を伝えました。本社と相談してみるということになりました。

阪神淡路大震災36日目:1995年2月21日(火)


 

今日は嬉しいことに久しぶりに音楽を聴くことができました。奥さんと一緒に行って、前のほうでジャズを聞きました。黒人の奏者のトランペットの吹く音がすぐ間近に聞こえ、奏者の頑張れよという目が私にウインクしているように見えました。とても上手な演奏で、もちろんセントルイスブルースもありました。

元気をつける曲として、「on the sunny side of the street」、「聖者の行進」などのおなじみのジャズが私の耳だけでなく、腹にも響くように聞こえて、とても元気をいただきました。遠くアメリカのセントルイスから自費で神戸までやってきて、一生懸命励ましてくれるのですから、曲は熱いものを感じます。

チャリティーコンサートなので、入場料は無料です。コンサートへのお礼を含めて、帰りに募金箱に志しとして自分で支援できる義援金を入れて帰ることになっています。


【イメージ画像】2005年1月13日放映読売テレビより

阪神淡路大震災37日目:1995年2月22日(水)


仕事ではチバの杉山部長が来られまして、チバ社にも、チバの愛用者のなかでレンズやケアに困っている神戸の罹災者の方に、さんプラザコンタクトレンズが窓口になることや、チバ社の製品に関する問い合わせや必要なクリーナーなどの無料配布を行うことを提案し、復興を告げる新聞広告をどのように行うか打ち合わせをしました。

メニコンの河内部長、菱田所長とも、話しをしました。メニコン社としては、眼科の先生方の要望に沿った復興支援をしたいようでした。

東レの小野部長とも、どのように告知活動をするかという話しになりました。東レとしては、神戸の顧客のなかで困っていらっしゃる方はどこに頼ればいいか、なんとか早急に案内広告を出したいという希望でした。


辞めていく従業員が多い中で、人事募集の面接がはじまりました。男子の2名を面接し、採用することにしました。

これまで一緒に仕事をしてきた頼りにしている女性社員のうち、また一人が退職の辞表を持ってきました。この一ヶ月あまりの間、いつ辞めようか、いつ社長に言おうか、とかなり悩んでいたようでした。


 

携帯電話が届きました。セルラー電話です。およそ10万円かかりました。番号は030-70-28468でした。これをどのように覚えるかを工夫してみました。

030は当時、当たり前でしたので、これは無条件に覚えます。70は70倍に置き換えます。284は「増やせ」と読みます。68は「ろっぱ」君に替えます。これを一つの意味に置き換えると、「70倍に増やせよ、ろっぱ君」と読めます。なかなかいい番号でした。

阪神淡路大震災38日目:1995年2月23日(木)


今日はあまり大きな変化もなく、記事はお休みです。

阪神淡路大震災39日目:1995年2月24日(金)



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