阪神大震災の為、あれが無い、これが無いの耐乏生活を経験しています。阪神淡路大震災後28日目~30日目

 そごう神戸店の取り壊しが進んでいます。ニッセイ三宮ビルも取り壊しが始まります。

震災から28日目ともなると、少しずつ連絡が取れるようになり、今日は友達、そして取引先で前任の担当者などから電話によるお見舞いがありました。

まず、第一声は「大丈夫ですか?」から始まります。答えは「大丈夫じゃない」なのですが、そうも言えず、「ええ、おかげさまで大丈夫です」と答えます。

「中間階がつぶれてしまったニッセイビル 」

今日は、自宅の片付けにそろそろ取り掛かるため、奥さんだけがまだ陽が明るいうちに、東灘の自宅に帰り、少しづつ整理に取り掛かりました。家のことをするのは、これが初めてです。やはり会社が最優先になっています。

なにしろ壊れ物や、踏むと危ないガラス食器類がありますから、これをまず分別して少しずつ自分達がくつろげる場所、あるいは寝る場所を作っていくことになります。

【イメージ画像】買い物に並ぶ被災者

(アサヒグラフ緊急増刊号より)


仕事が終わると、皆さん帰りは電車が止まっているので、替わりの代替バスに乗ります。代替バスは鉄道の定期を持っている人が代わりに使えます。

バスに乗るには、三宮のそごうと交通センタービルに挟まれた大通りで、順番に並んでバスに乗ることができます。この時に感じたのは、秩序を皆さんが、ちゃんと守って、割り込みとか、順番抜かしなどの行為がほとんどなく、ちゃんと皆さん秩序を守ってるなあと感心しました。


≫市役所前バス待ち

列の後には、バス会社の人がプラカードを持って、ここが今最後尾ですということがすぐわかるようにしていました。2列になり、寒い中をじっと待っていました。

バスを使って有馬まで帰るのに待ち時間だけで2時間ほどかかりました。寒い中でバスを待つためにずっと立っているので、仕事が終わった後で、とてもしんどかったです。

 阪神淡路大震災28日目:1995年2月13日(月)


 

 

今日も友人から励ましの電話がありました。今日14日は女性にとっては大切なバレンタインの日です。職場でもチョコレートのプレゼントがありました。娘からもバレンタインの電話がありました。

昨年までのバレンタイン・デーと比べれば、今年は地味です。やはり普段はお祭りで騒いでいて、本当の意味での愛の告白なんてことはなかったのでしょうか。きっと震災でも、今日こそは彼に愛の告白をと思っていた人は、たとえ震災であろうと、きっとチョコレートか手編みの毛糸のマフラーを贈っているはずです。

今日の出来事は、会社ではニチコンの荒木社長がお見舞いに来られました。荒木社長も芦屋のお家がかなり被害を受けたようでした。

今回の震災で、大丸とそごうの百貨店は両方とも大きなダメージを受けました。そこに入っている眼鏡店が別のところに臨時のコンタクトレンズ販売所を作るという噂を聞きました。


受け入れが少しづつ整い始めたので、もっと多くの罹災者の方にご案内を広げようということになり、DMハガキを5000枚印刷して追加投函しました。

阪神淡路大震災29日目:1995年2月14日(火)


 

告知活動を行うためにどうしたらいいのか、ここが思案の時です。できるだけ、多くの人に移転場所を知ってもらい、何とかコンタクトレンズで困っている方の力になりたいと思っていても、なかなか方法がありません。

そこで、神戸のFM放送局が震災復興状況を毎日流していることを知ったので、このFM放送局に私たちの復興をリスナーに伝えて欲しいとお願いをしました。震災後の医療活動の取り組みについて、私たちの話をしていただくようにファックスを送ってお願いしました。

自分のことがラジオから聞こえるのは不思議なものでした。とても嬉しく感じます。きっと車の中や、家の中で、この放送を聴いている人はたくさんいるはずです。

「地震直後の社内の様子」


時々は必要なものを取りに、さんプラザビルに出かけます。

昔、読んだロビンソン・クルーソーの漂流時のことを思い出します。嵐で難破した船から命からがら陸地に泳ぎ着いて、落ち着くと、陸地から難破船に何度も往復し、船の中から生活用品を運び出して、その後の孤島での生活の必要なものを調達しました。

ちょうど今の私は難破船に必要なものを取りに行くロビンソン・クルーソーのように思います。

会社に必要なものを取りに行った時の状況は、上の写真にあるように、泥棒が入った後のような散乱状態です。なにかを探すためには、まず整理から始まります。一つ一つを片付けながら、何かを取り出す根気のいる仕事です。

辛い知らせがまた続きます。今日も退職希望者が出ました。退職希望者はきっと、社長に「辞めます」と言うのも言いにくいなかで、言ってると思うので、お互いに辛い立場であることが理解できます。退職理由は、やはり通勤が難しいということです。

阪神淡路大震災30日目:1995年2月15日(水)



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