大震災心よりお見舞い申し上げます。緊急お伺い書 :阪神淡路大震災後:19日目(後半)

 阪神大震災で罹災したお客様に、営業再開のお知らせと緊急お伺い書を、ハガキ印刷します。

店舗の様子「営業準備の整った仮店舗」

若菜小学校から帰ると、往復葉書を用意して顧客に対して今回の震災の状況をお尋ねする「緊急お伺い書」を作成し、投函する準備に取り組みました。印刷はこれまでの馴染みの元町にある印刷屋の時報社(仮名)にお願いしました。

時報社の社長も被災しているにも関わらず快く印刷を期限以内に引き受けてくれました。

電話も不自由な時だったので、顧客の皆さんの安否を確認する方法は往復葉書による連絡が最適と判断しました。まず確認すべきことは、1)住所の変更の有無、2)レンズの使用状況、3)ご要望等についてお伺いしました。

きっと、皆さん困っておられると思いました。突然の避難のため、レンズもケア用品にも不自由をしておられるのではないかと予想しています。そのために、アンケート調査をおこなって私たちは何ができるかと準備をすることになります。そのためのデータとして、何を望んでいるかという顧客の要望を葉書でお聞きしています。

往復はがき 往復はがき

最速の状態で葉書が刷り上り、復興支援が始められる日は、2月の6日となりました。これまで兵庫県および神戸市では、価格について様々な遠慮がありました。しかし、今震災からの復興となると、これまでのように遠慮をして定価に近い価格では、皆さんの負担が重いと判断し、今回の第1回の葉書案内では思い切って最大50%~20%までの割引価格を設定しました。

これまででは、このような割引価格はなんらかの非難を浴びる雰囲気がありました。実際、これまではコンタクトレンズを我が社では定価の半額で販売したことはありませんでした。思い切って、今困っていらっしゃる既存のお客様のためにと思い、決断しました。

あわせて、一人一人のお客様が今どのような状況にあり、レンズの使用に対して困っていることは何かを調査し、その中からメーカー各社と協力し、第2回目の葉書案内に対する準備を考えていました。

震災の混乱中の中でも、郵政省による郵政事業は秩序を保ち、我が社から発送した1万5千枚の往復はがきはこれから順次顧客の皆様の手元にたくさん届きます。しかし、郵便配達の人たちは宛名の住所にいない方が多く、きっと配達に大変ご苦労することと想像できます。

例えば、私自身であっても、住所は東灘区でしたが、東灘区の被害は死者も多く、倒壊家屋はまだ片付けられていない状況で、そこには住んでいなくて、郵便局にも避難先を届けていないので、郵便配達の人もどこに手紙を届けてよいのか、転居先不明で困ったことと思います。


2月4日は土曜日にも関わらず、今日も大阪からお手伝いにきてくださったメーカーの方は、槇隆司さん、宮脇理さん、大和幸樹さん、安永幹夫さんの4名でした。今日も西宮や芦屋から歩いて三宮まで来ていただいて本当にありがとうございます。

整理された店内男手が足りなくて、重いものを移動するとか、不要な物を外に捨てに行くヘビーな仕事は、応援に来てくれた男子社員の人たちが積極的に仕事をさばいてくれました。

女性が中心の職場なので、引越しとか引越し片付けの時に派生する重労働にはとても助かりました。店舗を設営して営業を開始するとなると、外からわかる看板を取り付ける必要があります。

さんプラザにあるこれまでの看板を探してきて、これを今西ビルの窓側に仮留めしました。これで、外から見ると「松葉眼科」と「さんプラザコンタクトレンズ」の看板が上がったことになります。

店舗の前を見ると、ゴミの山です。まだ神戸市のゴミ集めが軌道に乗っていませんので、引越しなどで発生した荒ゴミが積み上げられています。

看板がかかったぞ!

お手伝いに来ていただいた各社の人たちと看板を背景に嬉しくなり、記念写真を撮りました。店舗ができ、案内の葉書を出し、少しずつ復興マーケティングが動いていることが実感できました。社長としての私の顔にも幾分喜びが溢れて見えてきます。


いろいろと、復興の仕事をしている中で、ビジネスの喜びから離れていましたが、今日はビジネスの上で大変嬉しいことがありました。

それは、震災から19日目にして、コンタクトレンズのお客様と眼科の患者様が増えてきました。引越しや、たくさんの街頭でのビラ張りの苦労が、吹き飛んでいくような嬉しさを感じました。やはり、ビジネスはお客様あってこそ、という実感です。応援の皆様と一緒に、嬉しくて「やった!」というような右手の拳を握り締め、上に突き出すようなポーズをとりました。

阪神淡路大震災19日目:1995年2月4日(土)



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