震災のコンタクトレンズ難民を救う社会的使命 神戸震災18日目(№15)

震災のコンタクトレンズ難民を救おうと活動がはじまりました。これが私たちの社会的使命です。阪神大震災から2週間後、倒壊したさんプラザビルから神戸市役所近くの今西ビルに移転です。

コンタクトレンズを困っている被災者の方に配りたい

阪神大震災で、休止していた、販売活動を再開しました。

土俵ができました。これからは四股をいっぱい踏んで土俵に上がるぞ!というような闘志が湧いてきました。

「引越し後の整理 ~今西ビルにて~ 」

テナントビルは崩壊しましたが、自分自身の身体が重症を負って寝込んでいるわけではありません。

神戸の震災で、たくさんの方が亡くなられたり、損傷を負いました。

幸いにも私はなんとか生きながらえたからには、これからはコンタクトレンズやケア用品を今も困っている被災者の方に配るぞと思いました。

これが今私たちができるコンタクトレンズ難民を救済する社会的使命なのです。

社員募集

これからも引き続き会社に出社して一緒に仕事を続けてもらえるスタッフは以前よりは半分以下になってしまいました。

これから社員募集をしてスタッフを増やしていこうと思いました。

しかしまだ、募集ができる状況ではないので、今はこれまでのスタッフに今後の協力をお願いすることになります。

少人数になったので、少ししんどいですけど、まあ残ったからにはみんなで一緒にがんばりましょう。

レンズの在庫は無傷

本当にラッキーだったのは、大切なレンズがほとんど無傷で残ったことでした。

これもレンズを大事にして、帰るときにはロッカーの中に仕舞い、外から鍵をかけていたからレンズは震災で揺れてもロッカーから飛び出さなかったおかげです。

普段からレンズを大切に扱っていたことが報われました。

これを今困っている人たちに提供するには、これからの告知活動をどのようにするかという問題があります。

ちょうど新規開店と同じような状況におかれています。

できるだけ早く職場に来て、夜は遅くまで仕事をして、復旧のテンポを上げたいと焦りました。

ですが、そうは言っても、交通手段がまだ回復されていませんので、現実は遅く来て、早く帰るということがしばらくは続きそうです。


広告活動はアナログで

もし通常の新規開店であれば、どのようにすればお店を皆さんに知ってもらえるでしょうか。

そして、お客様にお店に来ていただくようにできるのでしょうか。

たぶん、まずお金はかかっても広告による告知活動から始まると思います。

ところが、2月3日の神戸の状況は、広告活動などは不可能でした。

広告活動はアナログでするしか、方法はありませんでした。

新聞の配達は止まり、広告会社の活動は休止し、なによりも買い物をしようとする市民の消費意欲自体が、生活中心でした。

そこで、広告媒体に頼らないで、私たちが自分のできる範囲の中で、広告をやろうということになりました。

神戸市が支給してくれている「私はここに居ます」という掲示物が頼りです。

これを私が書きまくり、手分けして貼りまくり、という方針になりました。

といっても、実際のところ、従業員にはそれぞれの震災による被害の程度に違いがあり、被害の大きいお家の方は、気が沈んでいました。

コンタクトレンズ難民を救おう

それを社員みんなで、平等な気持ちで働こうと呼びかけても、やや無理もありました。

震災による被害の大きかった人は、何かと理由が続き、なかなか会社の復興の戦列に戻れない状態が続きました。

誰かが、どこかの段階かで、自分中心から神戸の復興のために、コンタクトレンズ難民を救うために、協力する時期が来ているのです。

コンタクトレンズ難民を救うという私たちに課せられた、私たち自身の使命に基づく、私たちしかできない本来の業務に戻るべき時がきているのです。

これが私たちに期待された社会的使命なのです。

このことを私は朝礼で集まっている人に向かって話しました。

従業員の皆さん方へ協力をお願いしました。

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【2005年1月11日放映NHKより】

震災の被害に気持ちは沈んで

現実的な問題としては、勤務時間の問題がありました。

交代休の問題もあります。

従業員の中では、被害の状況に大きな差があります。

ほとんど被害を受けていないものの、交通手段には皆さん平等に影響を受けていました。

自宅をはじめ、車、家具、財産などに損害を被った人もいます。

せっかく買ったばかりの車が崩れてきた建物で大破してしまったという話しでした。

いろいろなドラマが震災によって今、起きています。

この中で、誰にも向けられない苛立ちや腹立たしさがあります。

補償を求める相手もいません。

ただただ損害の大きさに、皆さん気持ちが沈んでしまっています。

このようなつらく困難な時だからこそ、気持ちを前向きにしなければなりません。

それなのに、将来に向けてこの会社をどうしていこうかという話にならないことが残念でなりませんでした。

阪神淡路大震災18日目:1995年2月3日(金)

             2019年1月 加筆 更新


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