メニコン、ニチコン、ボシュロム、チバビジョン、アルファコーポレーションからの引越し支援:阪神淡路大震災後16日目

メニコンの菱田孝ニ所長、安永幹夫さんを含む6名、ボシュロムの嶋岡邦寿さん、チバの伊藤益雄さん、塩谷さんを含む5名、ニチコンの宮脇理さん、アルファコーポレーションの槙隆司さんが手伝いに来て下さいました。

阪神淡路大震災16日目:1995年2月1日(水)

大地震の影響で神戸の街は大変混乱しています。その中で引越しをすると言ってもトラックとか機械は使えません。ほとんど人海戦術に近い人手によって運ぶしかありません。

まず、さんプラザビルの中で今西ビルに持っていくものを選び、そしてそれらの機械・事務用品・レンズ・備品、それらを、これをもっていくあれを持っていくに仕分けしていきます。そしてこれを持っていくということに決まったら、手押しの台車を使います。

エレベーター、エスカレーターは電気が止まって動きませんので、階段を手で持って抱きかかえて、あるいは数人で担いで、ゆっくりと1Fまで降ろすことになります。

台車は3台ありました。台車のスペースは小さいので、そのスペースに乗る範囲内で、ゆっくりと運ぶことになります。

途中は、アスファルトの道、あるいは段差のある道、あるいはレンガ、タイルなどで、ガタガタ震えることがあります。振動はよくないことですけれど、これしか方法がありませんでした。

 

何メートルもあるカウンター台などの家具は、両端を台車に載せて、バランスをとりながらゆっくり運ぶことになります。

これは、途中でずれたり、はずれたりするので運動会のように双方の呼吸がうまく合わなければ長い距離は運べません。運動会は笑って済みますが、震災の引越しは笑っている場合ではすまなかったのです。

 


手伝いに来てくれたメンバーは、ニチコンさんからは宮脇理さん、大和幸樹さんを含む7名です。ニチコンさんから、一番たくさんの方が応援に来てくださいました。

メニコンさんは菱田孝ニ所長、安永幹夫さんを含む6名、ボシュロムさんは嶋岡邦寿さん、チバさんからは伊藤益雄さん、塩谷さんを含む5名の方が応援に来てくださいました。アルファコーポレーションからは槙隆司さんが手伝いに来て下さいました。

槙隆司さん、宮脇理さんは精力的によく活躍してくれました。現場で指揮が取れる人と、言われたことをする人とがやはり分かれてきます。現場で指揮が取れる人は判断力がある人、あるいは皆さんを使える人が自然に指示を求められる立場になっていくことがわかります。

皆さんに来ていただいても、十分なおもてなしはできませんでした。お昼を食べることも、近くにやっとできた屋台で食べることが精一杯でした。元町の南京町に歩いていくと、中華街にたくさん屋台のお店が出ていました。


朝から始まった引越しはお昼に続き、そして夕方までかかりました。

たくさんの荷物を残していくことになります。とりあえず必要な器具、検査器具を持っていくことになります。もし、足りなければ、近くなのでまた改めて取りにくることにしました。

持っていきたい器具の中に、倒壊によって使えない光学機械などもありました。幸いレンズは全て販売可能な状態でしたので、ロッカーに積んで持って行きました。

たくさんの人や台車が行き交う中で、行ったり、来たりを繰り返して何度も往復して今西ビルに荷物を届けました。

コンタクトも眼科もたくさんのカルテがあります。このカルテをダンボールに小分けして、一人で一個持てるぐらいの重さにして、運びました。

カルテはすぐに使える状態に整理しておかなければ後からもう一度整理することは神経衰弱になりそうなほど大変なので、 番号をつけ、順番どおりに運び、順番どおりに受け入れました。

夕方になって、今日はこれで終わりという段階で、ほぼ明日から今西ビルのほうで仕事ができる状態になりました。

今だからこそ思えることですが、たった一日でよく引越しができたものだなと感心します。これも火事場のなんとかというか、震災のなんとかでしょうか。全て人力で行いました。機械も車も使わないで、人と人の連携と協力により、できました。皆さん、どうもありがとうございました。


眼科とコンタクトレンズの従業員は、人手を2つに分けて、一組は田野さんの指揮の下でカルテなどの持ち出しを担当し、もう一方では、今西ビルでの受け入れる方にまわりました。

今西ビルに荷物を届いたらそのまま上に積みあげるのではなくて、すぐに使えるように配列をしていきます。なんにもないところに1つ1つ置いて眼科診療所とコンタクトレンズ販売所の両方を作っていくことになります。

こちらはこちらでまた大変です。レイアウトを考えながら荷物を1つ1つその場所に置いていきました。「これはどこにおきましょうか。これはどうしましょうか。」と尋ねられたその瞬間に、「それはそこにおいて下さい。これはあちらにおいてください。」と、即決していきます。

2つの現場で同時進行的に、移転と新店舗の設営がおこなわれていきました。


明かりのないところで、日が沈むと仕事は終わりです。

ニチコンさん、メニコンさんのメンバーを中心として、たくさんの方の協力をいただきました。皆さん、寒い中で黙々と協力をしていただきました。とっても助かりました。

引き続き明日もお手伝いいただける方を中心に、お家に帰らなくてもよい人、帰れない人たちを、今日の厳しい仕事の中の1日の疲れを有馬に行って癒すことになりました。

今日は三宮になんとか来ていただいた人が中心ですけれども、この方々は遠くは名古屋からあるいは九州から来てくれた人がいますので、有馬のマンションに泊まってもらうことになりました。部屋の制限もありましたが、詰めていただいて寝るということで、8名の方に泊まってもらいました。

有馬にバスで帰り着いたときに、記念写真を撮りました。皆さん、今日は1日ありがとうございました。

神戸の市街地ではまだお風呂に入れる状態ではなかったんですけれど、有馬のマンションはいち早く温水管が復旧し、お湯が通ることになりました。

震災後わずか半月あまりのこの時期に風呂に入れるということは、とっても贅沢なことだったんです。

何もおもてなしはできませんでしたが、修学旅行の夜のように皆さんでわいわいがやがや今日一日の話をしているうちに、また明日何をするかという話になりました。

今日一日、皆さんありがとうございました。

 



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