罹災規模の全貌が少しずつわかり始めました:阪神淡路大震災後 6日目

さんプラザの倒壊したビルの中を、明かりの消えた店舗の中に入って、罹災の状況を確かめました。

交通センターの近くの大平閣の横にある一般通用門からさんプラザビルに入っていきました。ビルの出入り口には黄色と黒のロープが張られ、無断で用のない人がビルの中に出入りすることを防ぐためにガードマンも警戒にあたっています。身分を明らかにし、目的を述べ、中に入ることができました。

暗い階段を3階に上がり、勝手知ったる廊下を用心をしながら店舗に向かいます。
途中、誰かが窃盗を働いていたり、盗みの目的で入っている人とばったり出くわして、お芝居のように「この野郎、見られたからには生かしておけない。」と言われて、包丁で刺されたり、鉄パイプで殴りかかられると困るから、抜き足、差し足、忍び足で店舗にたどり着きました。

「天井の落ちた3階通路」

明かりの消えたさんプラザビルに、このように、震災後2回目の探訪を行いました。今回の目的は様子をみるという前回の時と違い、これから再建に向かって必要な大切な物や貴重品を盗難から防ぐという目的が変わっていました。

幸いにも、3階の我が社がある辺りには人影もなく、略奪にあったような形跡もなく、ほとんど無傷で、鍵を開けて室内に入ってみると、震災当日の日と何も変わっていませんでした。

「当社前3階広場」

改めて室内を見回してみれば、立てかけていたものは床に倒れ、ガラスや陶器は割れて散乱し、光学器械も横転していました。

別の部屋に行ってみると、容量が1トン以上もある海水魚用の水槽は床を這い、かなり移動していましたが、水槽の台にキャスターをつけていたので、倒れることもなく、床を移動するだけで幸いにも横転はしていませんでした。海水が床に流れ、階下のお店にご迷惑をおかけするような最悪は起きていなかったので、ややほっとしました。

「当社事務室の罹災状況」

何もなかったとはいっても大震災の後の職場の様子は、地震により高いところから物が落ち、辺りに散乱して、まるで泥棒が何かを探すためにあるものを撒き散らしたような状況でした。

その中から現金、実印、銀行通帳、権利書などの貴重品をカバンに入れ、自分の物を保全しているにも関わらず、何か手当たり次第奪っていくような、ドラマの役割を演じているような役者になったような気持ちで部屋の貴重品を探しました。
しかし人が持てる物は僅かな物で、本当に貴重なものくらいしか持ち出すことは出来ません。

「明かりの消えた室内」

日の光があり真っ暗闇ではないものの、3階の廊下の部分にまでは光は届かず、廃墟の中の洞窟のような不気味な静けさと、蛍光灯の光のない自然の明るさを改めて知りました。

貴重品を運び出し、もう一度戸締りをしっかり点検して、また来た道を戻り、北区を通って湯の郷へ向かいました。北区の町はネオンが灯り、六甲山を境に地震の被害の様相は大きく違っていることを改めて知りました。

今日は再建のために必要な大切な物を確保することができたので、震災後、初めて仕事らしい仕事をした満足感に包まれました。

湯郷に帰ってみると、岡山白陵高校に行っている子供の父兄の方が早速お見舞いに来て頂いていました。

私は神戸に行っていたので直接お礼を申し上げることができませんでしたが、早くも支援の手が差し伸べられたことを本当にうれしく思いました。震災の中で自分が逃げ回っている間はなかったことですが、少し落ち着いてくると周囲の人たちが私たちのことを忘れていないと感じただけで本当に嬉しく思えるものです。



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