人間国宝 鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう) 新内の世界 岡山県津山市講演

人間国宝 鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう) 新内の世界 鶴賀 伊勢隆太夫 と 鶴賀 伊勢松葉  Part1

人間国宝 鶴賀若狭掾 新内の世界

松葉博雄の古典芸能研究は、

新内の世界へと向かいました。

今回紹介する新内のお師匠さんは、

人間国宝 鶴賀若狭掾(つるがわかさのじょう)師匠です。

師匠には さんプラザコンタクトレンズの眼鏡部で、

メガネを作成購入して

いただいている顧客でもあります。

お稽古をしている時に愛用していただいています。

岡山県の津山市にある

グリーンヒルズ津山リージョンセンター ペンタホールにて、

公演がありました。

主催は(財)津山文化振興財団、

後援は津山市および津山市教育委員会です。

人間国宝 鶴賀若狭掾 新内の演目は

一.新内のお話と「らん蝶」 鶴賀 若狭掾

一.酔月情話-大川端-   鶴賀 伊勢隆太夫  鶴賀 伊勢松葉

一.新内「十三夜」     

     浄瑠璃:鶴賀 若狭掾 三味線:鶴賀喜代寿郎 

    上調子:鶴賀 伊勢次郎

一.新内流し

人間国宝 鶴賀若狭掾 鶴賀 伊勢隆太夫 と 鶴賀 伊勢松葉

酔月情話を演ずる鶴賀 伊勢隆太夫と鶴賀 伊勢松葉は、

私の義兄と姉の夫婦です。

どちらも開業医です。毎日の診療の忙しい中で、

二人は若狭掾師匠に師事し、今では名取を許され、

今日の舞台では酔月情話を演じました。

人間国宝 鶴賀若狭掾 舞台の前の最後のお稽古

楽屋を訪ねてみると、

師匠より舞台の前の

最後のお稽古をつけていただいているところでした。

私も今日の公演のお祝いを述べました。

師匠からはおめでたい寿として、

鶴賀流十一代目家元 鶴賀 若狭掾の日本

手ぬぐいをいただきました。

古典芸能の奥は深く、

人間国宝となると声の艶、

張り、高低などは素人の私

にも上手さがわかりました。

人間国宝 鶴賀若狭掾 新内の世界 伝統芸能は後継者不足

新内は古典芸能ですが、

一面、伝統芸能の持つ後継者不足に悩んでいます。

三味線を習う人は少なく、

新内を唄う人は更に少なく、希少動物のように保

護しないと、まさに絶滅種目になり兼ねないという状況を

師匠がわかりやすく観客に向かって話してくれました。

人間国宝 鶴賀若狭掾 新内の世界 江戸情緒

最後の新内流しの演目では師匠のトークがあり、

舞台から降りて観客席に三味線を

弾きながら流す様子を演じて、

少しだけ江戸情緒を味わう事ができました。

鶴賀 若狭掾師匠の後について

伊勢松葉が三味線を弾きながら新内流しをしました。

歩きながら三味線を弾くことはとても難しいそうで、

ギターのように背中にバンドをかけて歩くのではなくて、

三味線を身体に押しつけて弾くのですから、

難しいことはわかります。

頭には日本手ぬぐいを折って、

吉原冠り(よしはらかむり)という新内流し

独特の姿をします。

鶴賀若狭掾 師匠を囲んで

公演のあと席を変え、

「寿司楽」のお2階で若狭掾師匠を囲み、

今日の出演者のみなさんと主催者と後援者のみなさんが集まり、

交流会がありました。

師匠が手招きで私を招き、

師匠の隣の席に座るよう、勧められました。

師匠の隣となると上席なので、ちょっとご遠慮したのですが、

師匠の再三に渡るお勧めなので、

不肖松葉博雄は人間国宝の隣の席に座る事になりました。

関係者のみなさんのご尽力で今回の公演ができ、

無事に成功裏に終わったことを祝し、

津山市の助役さんの音頭で

一同で乾杯をして宴が始まりました。

師匠は中心人物ですから、

皆さん方が師匠の席にごあいさつにこられます。

その隣に松葉博雄が控えているので、

ついでに私にも皆様からご挨拶がありました。

側で見ていると、一人一人に師匠はお話をされるので、

なかなか飲んだり食べたりする暇がありません。

主催者側を代表して

津山市の助役さんが師匠の側に来られ、

東京よりはるばる津山にまで

来て頂いたことのお礼などを言われているのを

側で聞いていると、

助役さんの気遣いがヒシヒシと伝わってきました。

人間国宝 鶴賀若狭掾 師匠の言葉

先ほどの高座での着流しと違い、

交流会ではネクタイを締め上着を着て、一

般社会人と同じように見えます。

並んで全員で集合写真を撮りましたが、

これだと誰が人間国宝なのか、

伝統芸能を継承する人なのか、

新内流しをする人なのかわからなくなります。

私もなんとなく伝統芸能の

一員のような雰囲気で写真に収まりました。

  せっかくの機会なので、色々と師匠にお話を伺い、

伝統芸能に関する知識を吸収させてもらいました。

伝統文化は、これを伝えて行く人は内弟子で、

厳しく芸の修行をします。

一方、伝統文化を支えて行く人は外弟子で、

物心両面で伝統文化を支援することとなります。

当然、外弟子の修行は内弟子とは違います。

この師匠のお話を聞いているうちに、

社会人大学院生と研究者を目指す大学院生との

対比に似ているように理解しました。

新内で大切な事は何でしょうか。

それは「1に声、2に節」と言われました。

「新内に限らず、歌というものはまず歌詞があり、それに曲をつける。

歌詞に起承転結をつけて物語をつくる。

唄うのではない、節をつける、語りをつける」と、

熱く語り、未熟者の私に教えていただきした。

花鳥風月といわれる自然の中で出される音にも色々と意味がある。

花が咲き、鳥が集い、風がそよぎ、月が満ちたり欠けたりすること、

川の流れ、水の音、鳥の鳴き声など、

自然の中で耳を澄ませば宇宙から発せられる

信号のようなものが、

人間に語り掛けている。これを聴き耳を立てて音律を

理解する心が大切である、と、このような概略をお話されました。

これは、宇宙から真理を伝える大日如来の宇宙仏の構図と、

相通ずるように理解しました。

今日の演題の「酔月情話」の語りの中で

、伊勢隆太夫と伊勢松葉の二人が、

「酔月」の女将お梅と番頭の峯吉の

掛け合いを演じていたのですが、

峯吉がお梅を

「今までどこに行っていたのか」と問い詰めるところで、

お梅が「どこに行こうと私の自由でしょ」

と答えたくだりについて、

お師匠さんに疑問に思うことを尋ねました。

それは「どこに行こうと私の勝手でしょ」というのが普通なのに、

「自由でしょ」と答えたのには何か意図があるのですか。

という疑問でした。

これに対し、師匠は

この「酔月の女将お梅の番頭峯吉殺しの事件」が起きた

のは明治20年のことで、

時代背景としては自由民権運動が起こり

「勝手でしょ」が「自由でしょ」と言い替えられ、

自由、自由という言葉が巷に流行っていたからですよ、

と教えてくれました。

なにげなく聞いていた新内の一節でしたが、

松葉博雄がここまで細かい疑問を指摘した事に

若狭掾師匠はやや感心して褒めてくれました。

そしてご褒美に焼酎をさらに、

さらに勧めていただき益々酔って顔も赤くなってきました。

向かいの席の方が師匠と一緒にと言って、

写真を撮ってくださりました。

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