小西ゼミ大学院 県立大 最後のゼミの交流会

先ほどのゼミから一転して、次は皆さんで飲み会がありました。記念すべき2005年3月13日の小西ゼミの最後のゼミの後、交流会に移りました。先輩達と一緒の飲み会です。さすが出席者が研究者を中心にしていますので、まず流通、マーケティング、商業学会などの学会の話を先輩方はしていました。
大学院の先輩ともなると、現在は大学の教授、助教授、講師などのメンバーです。

小西先生は、これだけたくさん集まってくれたことに、とても喜んでおられました。先生曰く

「できたら、うちの家に来てもらったらいいのだけど、今日はまぁ遠いので、この場所でこの交流会をします」という、飲み会に先立っての先生からのご挨拶がありました。

このゼミのメンバーの中には、中国と韓国からの留学生の方も何人かいらっしゃいます。

そこで話題は、中国の話になりました。中国の中でも内モンゴルから来られている方もいらっしゃいます。留学生の方にせっかくの機会ですから、日本と中国との違いとか考えについて向かいに座っていた女性の方に尋ねてみました。

この留学生の方には、昨年のゼミのときに、私がたまたまドライブ途中で見つけた篠山市の草山温泉にある、「モンゴルの里」にあるゲルの話をしたことがあります。彼女はそのことを覚えていて、「松葉さんのホームページの社長研究室でモンゴルの里を見ました」と喜んで話してくれました。

私からの話は、「日本に来るときに、中国では日本のことをどのように予想していましたか?」と質問してみました。

そうすると彼女は、日本に来るために、飛行機に乗って、神戸にバスで着くまで、ずーっと、日本人は和服を着ていると信じていたそうです。ところが、バスがそごうの前に着いて、神戸の三宮で周りを見回してみても、誰も和服を着ていないことに驚いたそうです。私も、そんなことを信じていることに驚きました。

料理は、話が弾むなかで、どんどん出てきます。「魚民」 と言えば、「和民」と係争のことを思い出します。どちらが、間違って欲しいのか、皆さん考えてみてください。

話は続きます。中国から見ると、日本の社会は男性主義であると感じているようです。つまり女性よりも男性の方が思うようにしているということでしょうか。

それなら、中国ではどうですかという確認の話として、私が尋ねた質問は、「ご飯は誰が作りますか、男性ですか、女性ですか」という意味の質問です。その答えは「男でも、女でも、早く帰った人がご飯の支度をします」ということです。

「じゃあ、お父さんが早く帰ってきたときは、お父さんはどんなお料理を作りますか?」という質問では、

「お父さんは、野菜炒めが得意です。お父さんの野菜炒めは世界一おいしいです。それと、前の日から仕込んで、豚マンを作ります」というお話でした。そこで、聞いていた一堂は、「へぇ~、お父さんてすごいなぁ」と感心しました。

彼女の言うには、モンゴルに行くなら8月がよいそうです。星が降るような、とてもきれいな夜空が草原に行くと見えるそうです。8月に行くと寒くもないし、星がきれいで、天の川が降るように見え、もう草原で見る星はすぐそばに輝く、宝石のようです。行きたいなぁ、行きたいなぁ、行きたいなぁ…

また料理の話が続きます。私の質問は、 「お父さんの料理は、おいしいですか?」と尋ねると、「お父さんの料理が一番おいしいです。すべてが最高です」というお答えでした。

そこで私は、突っ込みで、「お母さんはどうなんですか?」とやや意地の悪い質問になってしまいました。そうすると、「お母さんも、お父さんの料理がおいしいと言います」ということで、皆さん大笑いとなりました。

この間にも、ビールはどんどん進んで、私はジョッキが3杯目になっています。

それから、餃子についての話になりました。
モンゴルでは、餃子の一番おいしい食べ方は、水餃子で、もし餃子が残ったら、翌日焼き餃子にするということです。これは、ご飯が残ったら焼飯にするのと同じことでしょうか。

私たちは焼き餃子が良いと思いましたが、焼き餃子は実は余りものの料理だったということです。
そういえば、スーパーの魚売り場では、鮮魚は翌日には、焼いて売るそうです。

料理の話の後、日本に来て、日本の生活の中で、気がつくことは何でしょうか、と尋ねてみました。 そうすると、「日本の人はテレビに縛られすぎじゃないかと思います」と言っていました。
例えば、4人の家族がいた場合、それぞれの部屋でテレビを別々に見て、たまたま同じ番組を各自が見ていて、別々の部屋から同じ時にその反応として、笑い声が聞こえたということを、自慢している人がいるという話を聞いて、彼女は驚いたそうです。これって、自慢できる話しじゃなくて、家族がバラバラの様子じゃないかなと思ったそうです。

2005年の3月の卒業式には、はるばるお父さんとお母さんが、娘の卒業式の晴れ姿を見るために、はるばるモンゴルから、今、神戸に来られているそうです。お会いしたいので、是非、我が社に来て下さいとお誘いしました。お父さんとお母さんの時代はちょうど中国では文化大革命があったころで、なかなか思うような勉強ができなかったので、子供たちには勉強をさせたいという気持ちが強かったそうです。

中国は一人っ子政策ですから、兄弟はいないし、一人だけお父さんお母さんから一心に愛と期待を担って育つのですから大変だと思います。

そろそろ終わりの頃、小西先生から皆さんにお話がありました。

「今日のゼミは県立大の教授としては最後だけれど、しかし、これからも商大には非常勤で来るので、これからもまた定期的にこのようなゼミの先輩後輩を一堂に集めて、研究会や報告会などの、ゼミとしての研究活動を続けていきたいので、また皆さん集まってください」というお話がありました。

私たちも何かきっかけがなければ研究をすることも、あるいは発表をする機会もありませんので、是非お声をかけていただきたいと思います。

なんと、今日は、小西一彦先生がお勘定を払ってくださいました。えらいことです。恩師に勘定をもってもらうなんて……と一堂恐縮しましたが、小西先生は今日のことがきっと嬉しく思われたのか、ご自分で皆さんに「お家に来ていただいたと思って、私がご馳走したい」とおっしゃいました。そこで、「わかりました。今日はご馳走になります」ということになりました。

ご馳走様でした。

2005年3月13日